総合「研修」で革新的な人材は育たない
日本ではここ最近、人手不足が大いに話題になっている。だが「世界的な人材不足は、こんなものでは済まされない」とスイスのビジネススクールIMDのシュロモ・ベンハー教授は言う。人手不足時代に、本当に必要とされる人材をどう育てればいいのか。『企業内学習入門』をこのほど上梓し、「従来のような教え込む研修では、ビジネス戦略に沿った人材育成ができない」と主張するベンハ―教授に、話を聞いた。
世界中で人材獲得競争が起きています。

IMD教授。独フンボルト大学で心理学の博士号を取得。専門はリーダーシップ、タレントマネジメント、企業内学習。IMDではリーダーシップ教育を担当している。イスラエルと米国の国籍を持つ。ダイムラー・クライスラー・サービス社の最高学習責任者(CLO)や、BPグループのリーダーシップ開発と学習部門バイスプレジデントなどを歴任。
ベンハ―:今、世界が、単なる「人手」ではなく優秀な「人材」を求めています。我々研究チームは、2030年までに欧州で4500万人、米国で2500万人にのぼる「人材需要」の増加がおこると考えています。これからは金融資本より人的資本こそが組織の成長のエンジンになる。これは世界的な傾向です。
人口動態を見れば、世界中の多くの国が高齢化しています。日本はその典型です。そして多くの国の教育システムを検証していくと、多国籍な組織が必要とするスキルや資質を持った人材を必ずしも輩出していません。私の息子は20歳で米国の大学に通う大学生ですが、彼本人はあいにく音楽プロデュースを専攻しています。しかし彼の同級生を見ると、工学系に進んだ学生は皆全額奨学金で学んでいます。世界中で工学を志望する学生が減っているからです。
世界中の企業・組織がエンジニアを必要としているのに、供給が追い付いていない。それに、保護主義的な考え方がますます勢力を増しています。欧米諸国は、アジアを人材の供給源とみなしていますが、よく調べると話はそれほど単純ではありません。
アジアで人材供給源になれるのはインドぐらい
例えばインドは英語も話せるので「人材輸出国」足りえますが、逆に言うとインドぐらいでしょう。中国は今後、十分に裕福になる前に人口の高齢化が進んでいくことになりますから。
1990年代にマッキンゼー・アンド・カンパニーが「人材獲得戦争」というテーゼを予言しましたが、現在のひっ迫した状況から考えると、当時想定していた「戦争」などは、小競り合い程度のものだったかもしれません。

人材不足は、世界の経営者もかなり深刻に受け止めている様子です。IMDが世界の大企業のCEO(最高経営責任者)を調査した時に、「夜、心配で眠れない時に思い浮かぶことの上位3つは何か」とたずねたところ、「人材のマネジメント」を真っ先に挙げた人が大変多かったのです。
大企業のトップは、人材について一番深刻に悩んでいると。
ベンハ―:何が一番の悩みですか、という大ざっぱな質問だったのです。それは大げさなわけではなくて、事実、組織の成長は「人材の継続的な育成」の巧拙に大きく依存していると思います。その文脈において、企業内学習は大変重要で、もはや教え込む「訓練」をするだけでは済まされないのです。
企業内で「訓練」というと、教え込む形になって受講する側はあくまで受け身になってしまいます。しかし今や、そうした座学にのんびり取り組んでいる余裕などありません。最近の調査では、研修を断った人のうち、理由が「忙しすぎるから」だった人が40%にものぼっていました。今後に求められる「企業内学習」は、時間的制約との戦いになります。
知識を一方的に与えるだけでなく、個々の人材が組織の戦略の優先度について学びながら行動できる力を養う必要があります。学習によって個人を成長させるだけでなく、組織の成長を同時に追求するのです。そうした問題意識の基で、まだ一部の多国籍企業の間ではありますが、研修や企業内学習をたばねるチーフ・ラーニング・オフィサー(最高学習責任者)や研修所長が、単なる人事部の一部門ではなく、重要なポジションとみなされるようになってきています。
新しい市場で成長しようとした時や、迅速にオペレーションを多様化してビジネスを変革しようとする時に、どのような能力を持った人材がいれば、競合を出し抜けるでしょうか。ビジネスを取り巻く世界はあまりにも複雑で、絶えず変化しています。あらかじめ模範解答を覚えることなど全く意味がありません。グローバル化の嵐のただなかにいる企業の幹部にとっては、自ら学習する人材を育てていく場面が、最大の戦場ともいえるのです。
要するに、自発的に動ける人材が重要であるということですね。しかしそれは、以前から言われていたのではないでしょうか。
ベンハ―:そうです。ご存じかと思いますが、90年代初めに言われた「ナレッジ・マネジメント(知識管理)というコンセプトが登場したのも、その流れの一環です。しかし、企業内学習の現場では、大きな変革は起こらなかったのです。企業には能動的で、ビジョナリ―な人材が必要です。しかし、現在のような企業内学習のあり方ではそのような人材育成は難しい。
学術的オリエンテーションが企業研修のルーツ
なぜ、企業内学習のノウハウがなかなか変わらないのでしょうか?
ベンハ―:企業内研修の歴史をたどっていくと、古典的で学術的な学習オリエンテーションにルーツがあります。つまり知識の獲得を目的としているスタイルのため、そもそも組織経営には不向きなものなのです。「教えるから、学んでください」というスタイルのものですから。
しかし世界的には、結果重視の風潮が高まり、数値を指標にして企業が意思決定することが増えています。また技術の進歩により働き方や学び方が大きく変わり、働き方や職業観にも、世代間の大きなギャップがあります。
我々は成果を出すことに焦点を当てています。この学習から何を得たか?と実感してもらうことを常に意識しています。学ぶことが目的ではないのです。学ぶことを通じて個人レベルでも組織レベルでも行動を変えるのが目的です。
私はフルタイムの教授職に就く前、石油メジャーの英BPで「学習ポートフォリオ」を管理していました。当初は、BPも会社として学習目的が明確ではありませんでした。手探りで社員に必要な学習テーマを作っていくうちに、「この数百万ドルもの教育プロジェクトを通じてどのようなリターンを得るのか?」「このプログラムで、本当に必要な人材を育成できるのか?」という問いかけを突き詰めていきました。
すると、なんと経営陣の誰一人として、その答えを持っていませんでした。しかしBPに限らず、良くあることなのです。膨大な投資をして進める教育プロジェクトにもかかわらず、それによって、何を生み出そうとしているかすら経営陣が自覚していないのです。
研修の終わりに成果を確かめることもせず、社員にアンケートを取って――私は「ハッピー・シート」と呼んでいますが――、「この研修は面白かったですか」と聞いているだけのことが多い。それで、人材の競争力を高めることができたのかなど、全く検証しないのです。
能動的な人材をうまく育成している優れた企業の例はありますか。
もちろん、そのような人材育成は決して簡単なことではありません。例えば米GEは、チーフ・ラーニング・オフィサーを初めて設けた会社で、企業内学習のパイオニアです。企業内学習では実に約100年の歴史があり、米ニューヨークのクロトンビルにある同社のラーニングセンターは良く知られています。
GEも企業内大学のあり方を再構築
GEは人材教育にそれこそ数10億ドルも投資をしてきたわけですが、会社として本当に望ましいリーダーを育ててこられたのでしょうか。彼らは、ジャック・ウェルチ氏とその後継のジェフ・イメルトらは、実に系統だったやり方で40年近く、実質的に同じことを教えています。
実は、GEのチーフ・ラーニング・オフィサーのスーザン・ピータース氏が、CEO(最高経営責任者)から、「このやり方を見直す必要がある」と迫られ、IMDにやってきました。IMDではGEのカリキュラムや経験、学習前後の変化などを2年間かけて研究し、カリキュラムを大幅に改定しました。そして学びの場としてのクロトンビルの環境も変わったのです。
このように人材教育に膨大な投資をしてきたGEでさえ、ラーニングセンターの再ブランディングに取り組みました。必要とされる人材は変わっていきます。人材不足に立ち向かっていくには、自分で考え、変わっていける人材の育成がどの企業にとっても急務なのです。