バリバリ働いてきたけれど、産後、価値観が変わった 【待機ママ・ルポ/中編】育休期間中に保育園に入れず、退職を決意

女性雇用バリバリ働いてきたけれど、産後、価値観が変わった 【待機ママ・ルポ/中編】育休期間中に保育園に入れず、退職を決意

女性の雇用拡大が国家プロジェクトになっている今、保育園の待機児童問題解消が急ピッチで進められています。しかし、施設整備の遅れや、現場の理解不足などで、職場復帰を妨げられ、キャリアチェンジを余儀なくされるワーママがまだまだ多いのも事実。そんなママ達が、何をきっかけにどのような選択をしてきたのか。生の声をお届けします。

【あらすじ】大学で研究職をしているフランス人の夫と、2歳になる娘と共に、3月に東京都から静岡県伊東市へ移住したレネ紗矢香さん(現在39歳)は、幼少期から働く母の背中を見て育ちました。そして、自分は「歌を歌い続けたい」という夢のために、途切れなく、がむしゃらに働いてきたといいます。保活卒業までに揺れ動いた母心とは? 紗矢香さんの生い立ちや仕事観、現在の心の内までを探りました。

わが子がまさかの待機児童に。始めながら実感していった、保活戦線の厳しさ

 

 

保育園に入れなかったのもあり、いつもこんなふうにして外出。「カンガルーみたい」と声を掛けられたり、外国人観光客に写真を撮られたりした
保育園に入れなかったのもあり、いつもこんなふうにして外出。「カンガルーみたい」と声を掛けられたり、外国人観光客に写真を撮られたりした

 

2013年11月、娘が8カ月に入るころに台東区役所に行き、途中入園の相談をしました。「できれば1歳を迎える3月から認可園に入れたかったけれど、4月でもいいか」と気楽に考えていたのですが、4月どころか5月入園も不可。

「これが噂の待機児童? やっぱり入れないのかー」という冷めた思いしか湧いてきませんでした。

最後の職場はそれまで勤めたどこよりも環境・人共に恵まれ、仕事内容も楽しかったので復帰が見込めないのは残念でしたが、失業給付を受けられると知っていたので、混乱することもなく逆に娘と一緒に過ごせる時間が長くなることをうれしく感じました。

「提出済みの書類は継続利用できませんので、6月以降の申請については、書類を再度提出し直してください」と言われましたが、幼い子を抱えて申請書類の作成に時間を割いても入園できる可能性はかなり低そうでした。というのも、近所の認証保育園ですら60人待ちという噂を耳にしていたからです。近所の認証保育園ですら、待機児童数は60人という現実を前に、もう一度書類を用意したところで入れる確証はないのです。

どうしても仕事復帰しないといけない事情があった近所のママ友は、隣の区の保育園に入れたようで、彼女が毎日片道20分以上かけて自転車で送り迎えすると聞きましたが、正直、当時の私にはそこまでできる自信はありませんでした。

当時、所属していた派遣会社に事情を説明して、9月まで育児休暇を延長してもらい、ハローワークで失業給付受給申請の手続きをしました。

ちょうどそのころ、たまたま空き家になる千葉県鎌ヶ谷市の一軒家を紹介され、引っ越すことになりました。「もしかしたら、保育園や住宅環境は今よりマシかも?」。そんな淡い期待を持っての引っ越しでした。

 

期待を抱いて引っ越した。しかし、「ここではとても子育てできない」と絶望

 

引っ越しして、いざ保活開始。美容院や子ども支援センターなどでたびたび耳にしたのが「この辺の保育園でも2~3年待ちだよ!」という声でした。ここでも、0歳児で入園希望を出していた子が2歳、3歳になってやっと入れたという状況だということが分かったのです。実際に引っ越してきてみると、保活以前に、前情報では分からなかったことが次々と明らかになりました。

子どもの数が少ないために、保育園の数がそもそも少ないこと。その割に認可園の入園を希望する待機児童が多いこと。自衛隊の基地が近く、飛行機の影が家の中まで走るほど低空飛行している。そしてその騒音でせっかく眠った子どもが起きてしまう。さらに、最寄り駅までの道が整備されていなかったこと。自家用車を持たない私達にとっては、とても幼い子どもと共に親子が安心して暮らせる環境とはいえませんでした。ここでの生活は5カ月で断念せざるを得ませんでした。

千葉県に越して5カ月で東京へ出戻り引っ越し

少しでも夫の通勤に便利で、子育てがしやすそうな町に引っ越すことにしました。東京都足立区です。台東区で住んでいたときの部屋より少し広くて家賃も控えめ。

足立区に移ってからは、もう保育園に入園申請するのをやめました。仕事を間断なく続けてきた私にとって、「子どもを保育園に入園させて働くことは、こんなにも難しいことなのだ」と、改めて考えさせられる機会になりました。ボロ雑巾のようになって働いてきた私に、「ゆっくり、マイペースに生きなよ」って言ってくれているタイミングなのかなと思えたんですよね。子どもが生まれたことで、「私の時間をもっと子どもと過ごすことに使いたい」と思うようになりました。人生観がこうも変わるものかと自分でも驚いています。

「子どもと過ごす時間をまず一番に考えて、その合間で歌い続けることや、マイペースで続けられる仕事をやりたい」と思うようになりました。

しかし、第二子を妊娠して「この身重では、遊びたい盛りの娘と思うように遊べない」。何気なく足立区のウェブサイトを見たら、通えそうな2つの保育園に1名ずつ空きがあるとの情報が上がっていました。在宅勤務ではありますが父の会社の役員になる予定だったこともあり、同年に企画主催した子ども歓迎ジャズライブの出演料、原稿料、妊娠もろもろすべてをひっくるめて8月に保育園の申請手続きをしましたが、ここでも残念ながら「待機」になってしまいました。

しかし、10月下旬になって区役所から「急ですが、11月から保育園に入れることになりましたが通えますか?」という電話がありました。妊娠のおかげでポイントが上がったのだそうです。しかも、そこはたまたま一時保育で利用していた園でした。翌日には近所の小児科で健康診断を受け、入園許可が出て、翌月から3月まで通いました。おかげで妊娠中も産後も家族全員が心身共にとても助かりましたし、産後には保育料が割り引きになったこともありがたかったです。

 

子どもを産んで、仕事を辞めたら、「お金よりも時間が大切」と考えが変わった

 

今はお金よりも時間が欲しいですね。18年間いくつもの職場を転々としてきましたが、つくづく会社勤めは向いていなかったようです。だから悔いなく辞めることができたんでしょうね。

子どもが生まれてからは、家族のために食事を作ったり、家のことを色々やったりする時間が充実しています。ガンガン働いて稼いだお金も、パッと使ってしまえば一瞬で無くなります。私は、お金を使うことではない部分で満足しているほうが、今は優先順位が高いんだなと思います。結局、私って意地だけで働き続けてきたのかもしれません。でも、今の私には意地なんてありません。

会社員時代はいつかは会社勤めをやめたいと思っていました。今はこの先、子どもを抱え、どうなるかよく分からない人生を逆に面白がっているんです。私は高卒で、短大卒以上の学歴がないせいで仕事が得られないなど悔しい経験もしました。

27歳で父と同じ歳の男性と結婚したときも「将来的にはこの人を養っていかなければ」というプレッシャーで爆走していました。先が見えないことが不安で、むちゃな働き方をしていたと思います。

会社勤めをやめた現在、第二子となる息子も出産し、3月には私の父が住む静岡県伊東市へ移住しました。ここでは、私も夫も父の仕事を手伝う予定でしたが、保育園の申請手続きの手間を避けたいという思いがありました。さらにちょうど娘が3歳になるので、幼稚園への入園手続きを進めていたのですが、14時までしか預けられないことが分かり「これでは、将来的に仕事をするのが難しくなる」と考え、締め切りは過ぎていましたが、ダメモトで保育園へ併願申請手続きをしました。

すると、一旦「待機」の通知が届いたものの3月中旬に役所から電話があり、4月から近所の保育園に入園できることになり、娘は保育園へ通っています。もし、幼稚園に入園していたら同じクラスには娘を含め3人だけ。保育園は定員の16名。どちらも公立ですし、このバランスが改善されるとよいですね。

 

静岡の自宅でゆっくり過ごす夫と子ども達
静岡の自宅でゆっくり過ごす夫と子ども達