総合「働きやすさ」を追求すると企業はダメになる?!社員の満足を生み出すのは、「働きやすさ」ではなく「働きがい」
井上 自分のキャリアビジョンを見つめ直して、それが会社の方向性と違ったときには、他所(よそ)で輝ける場を探す――。僕も基本的にはそうであるべきだと思う。そういう部分も含めて会社がオープンコミュニティになっていて、会社の考え方にちゃんと共鳴できる限りはそこで頑張る。
逆に、ある程度方向性が変わったら前向きに、リクルート的には「卒業」という感じで会社を出て行けるような構造があればいいんだけどね。僕たちが転職相談にかかわる中でも、会社の中であるところに押し込められて、それに気づいた大人たちが「もう一度チャレンジしたい」と一念発起したような話も多いよ。
前川 今は成熟社会で、多くの経営者や幹部管理職は自信を失っているでしょう? 今までの猛烈な働き方だと「生産性が低い」と社会から突き上げられる状況になっているわけで、そこで、社員に自立した考え方を求め、働きがいを高めていったときに一時的にカオスが起こるかもしれない。だけど、産みの苦しみを経て、会社ともう一回握手できる人はそのコミュニティでそれまで以上に活躍・貢献していくだろうし、そうではない人は、違う会社で活躍していけばいい。そういう人材流出は致し方ないのかなと思っている。特に、40代ぐらいの人たちは、しっかりと内省した結果、会社の方向性と合わなければ、井上君のようなプロフェッショナルの力を借りて「場」を変えるということも考えた方がいいと思う。
井上 一方、若い子たちに対しては?

前川 これは僕が『リクナビ』の編集長だったことの懺悔でもあるんだけど、就活生というのは、全部ベルトコンベアーに乗せられて、「この時期は業界を研究して、この時期は自己分析して、この時期はエントリーシート書いて……」といったように行動する。わずか数ヵ月の間に、さも人生を賭けて考えてきたように「自分の将来はこう生きたい」「こう働きたい」「だから御社でこういう仕事がしたい」といった自己PRをしていくよね。そんなことをしていると、彼らの中には、悪い意味の自己暗示にかかってしまって、「自分はこれしかできない」と思うような学生たちも出てくる。
井上 多かれ少なかれ、そういう影響はあるだろうね。
前川 でも、社会に出てないのに、自分が本当にやりたいことなんてわかるわけがない。新卒一括採用から企業内人材育成の地続きの仕組みは日本が世界に誇るべき仕組みだと思う。ただ、課題の側面としては就活という日本独自の仕組みが若者の視野を狭めてしまっているところがあって、僕はその固定観念を外してあげる作業が逆に必要だと思う。「あなたには、もっといろんな可能性があるよ」と。
だから、若い人こそ、自分のキャリアビジョンと、会社が向かうべきビジョンの摺合せを定期的にしていくことが大事だよね。その過程で自分が磨かれていくし、会社の向かっている方向を真剣に考えることによって、ワクワクすることが見つかることもあるからね。さらに、時代も刻一刻と変化していて、10年、20年先なんて誰にもわからない。
僕らは「キャリアコンパス(羅針盤)」と呼んでいるんだけど、キャリアの羅針盤を3年おきくらいに見直した方がいいと思う。
井上 ところで、先ほどから日本の会社は帰属意識や仕事の満足度が低いという話が出ていて、前川君はその処方箋として「社員一人ひとりの働きがいの復興」を挙げているよね。その話は、『社員が辞めない、ワクワクする職場――「働きがいあふれる」チームのつくり方』(KKベストセラーズ・ベスト新書)に詳しく書いてあるけれど。
前川 仕事の満足度が低いということは、日々の自己効力感を感じていないわけだよね。それで若手が辞めてしまう。だから、働きがいを感じられる仕事、役割、チーム、職場――これをどうつくっていくかが大事ということ。
今、世の中で働き方改革が真っ盛りだけど、そこには勘違いがあると思う。だいたい「企業内保育園を作る」とか「残業を減らしましょう」とか「リモートワークもOK」みたいな、社員が働きやすい環境をいかに整えるかという話ばかりしているでしょう? もちろん、それは必要だよ。でも、企業がそこばかり強調すると、これだけ育児や介護の問題を抱えている人が多い中では、「そういう制度を上手に全部使おう」となるよね。
井上 それは、そうだろうね。
前川 特に、最近の30代前後の層は、「功利的なキャリア観」を持っていると言われている。これは以前、慶應大学の高橋俊介教授がおっしゃっていた用語だけど、彼らは、いわゆる終身雇用、企業内組合、年功序列といったもので守られず、自立自尊で生きようとした世代だから、会社が用意した制度も「使えるものは最大限に使ってしまえ」となる。でも、それって、実は本人のために良くないよね? それだけキャリアが断線するわけだから。
そういう意味でも、会社は、「働きやすさ」ではなく、古くて新しい概念である「働きがい」について、もう一度しっかり見直した方がいいと僕は思っている。

井上 まさしく内発的動機だよね。僕は、管理職や経営職という層を見ていて、彼らのようなクラスの人でも、ビジョンというマクロのやりがいや働きがいはもちろんのこと、それと同時に、ミクロの働きがいも大事だと思っている。ミクロの働きがいというのは、簡単に言うと「日々こういう人たちと働く楽しさ」とか、お客様からいつも嬉しいフィードバックが来るといった、目の前の一個一個の小さな働きがいみたいなものがすごく大事だと思っている。結局のところ、マクロとミクロの両方の働きがいを持てている人が、ちゃんとやっている感じがするんだよね。大きな働きがいだけだと、そこに邁進する過程で心が折れてしまうことも多い。そういう人を見かけるしね。
前川 その通りだね。それくらいの幹部層の人たちでも、大言壮語を吐く一方で、日々の働きがいが感じられなければそこに近づいている実感がないと思う。僕らはそれを「小さな階段」と言っているんだけど、その設計をしないとしんどいよね。
今僕が言っているのはミクロの働きがいのことだけれど、「働く」という漢字は、「にんべんに動く」でしょう? 人のために動くのが働くことなら、働きがいとは、「人のために動く喜びを感じられる」ということだと思う。これを毎日感じられる職場であれば、人は簡単には辞めない。
ところが、今は、短期的な成果と効率性を求められ、職場は忙しく、すでに話したように、プレイングマネージャーの多くは、個人のノルマと日々の業務をこなすのに精いっぱいで、部下の育成やチームづくりや一人ひとりの役割をつくってやることまで手が回らない。やはり、社員が本当に求めている「働きがい」を、もう一度職場に取り返すということをしていかないとね