VRによって働き方は「多チャンネル」に、人事は「価値の商社」へ進化する(前編)

総合VRによって働き方は「多チャンネル」に、人事は「価値の商社」へ進化する(前編)

バーチャルリアリティ(VR)や拡張現実感(AR)などの技術が急激に進歩し、大きな注目を集めています。「人間拡張工学」研究における第一人者、東京大学先端科学技術センター教授・稲見昌彦先生は、技術の進歩によって「人はテレビのチャンネルを変えるように、さまざまに役割を切り替えながら、まったく別の自分に『変身』して働くことが可能になる」と言います。VRやARによって、働き方や会社のあり方、そして人事の役割は、今後どのように変化していくのでしょうか。詳しくお話をうかがいました。

東京大学先端科学技術センター 身体情報分野 教授 稲見 昌彦さん

東京大学先端科学技術センター 身体情報分野 教授

稲見 昌彦さん(イナミ マサヒコ)

東京大学先端科学技術研究センター身体情報学分野教授。同大学大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻教授、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科客員教授、超人スポーツ協会共同代表を兼任。専門は人間拡張工学、バーチャルリアリティ、複合現実感、エンターテインメント工学、ロボット工学。

技術の革命により、身体の持つ「役割」が変わる

稲見先生がバーチャルリアリティ(VR)の研究に取り組まれたきっかけは、何だったのでしょうか。

私は昔から「人間と人工物を適切につなげていくことで、人間の能力を拡張できるのではないか」ということを、ライフワークとして考えてきました。博士課程に進学したとき、その実現に最も近かった技術が、バーチャルリアリティ(以下、VR)とテレイグジスタンス(遠隔存在感)。それ以降、長年にわたって、この分野の研究に取り組んできました。

私の当初の専門は、コンピューターを使って人間の視覚を拡張する技術です。VR技術やAR(拡張現実感)技術を用いて、「あたかもそこにモノがあるように見える」投影技術を研究・開発してきました。また、2000年代に入ってからは、コンピューターデバイスに留まらず、例えばロボットなども使いながら、人間の作業をアシストすることができないか、人がロボットをより直感的に動かすことができないか、といったテーマでも研究を始めました。それが「人間拡張工学」という分野です。

稲見先生は研究を通じて、どのような未来を目指されているのでしょうか。

歴史的に見ると、農業革命や工業革命などの社会革命が起きたときに、人間の身体の役割や使い方は大きく変化しました。たとえば工業革命以前、人間に必要だったのは、手作業で製品をつくる能力でしたが、機械化が進んでからは、機械を操る能力が求められるようになりました。このように、環境や価値観の変化によって、身体の役割も変わっていくのです。

しかし、現代は情報革命の時代ですが、われわれの働き方や身体の役割は完全にアップデートされていないように思います。工業革命のままの部分が、かなり残っている。体の役割が変わってきたことを、誰もが感じられるようになってはじめて、本当の意味での情報革命が達成されると言えるのではないでしょうか。

その研究と実践を行うのが、私が携わっている「身体情報学分野」の役割です。平たく言えば、情報の力によって、「身体観」を変える研究です。たとえば、「記憶」の持つ意味が、既に変わってきていると実感されている方も多いのではないでしょうか。文章作成の際の予測変換機能が登場し、以前ほど漢字を記憶していることは重要でなくなりました。検索すれば過去のメールをさかのぼって確認できるので、すべてのやり取りを記憶しておく必要はありません。スマートフォンの地図やカーナビの登場により、道順を記憶する必要もなくなりました。テクノロジーは、これまで一部の天才にしかできなかったことを、万人にとっても可能にしたのです。

超人スポーツを楽しむ人たち
▲超人スポーツを楽しむ人たち

私の取り組んでいる「超人スポーツ」は、その実証研究の意味も持っています。人間の身体や五感、頭脳といった能力を、デバイスによって拡張させた状態で競い合うのが、「超人スポーツ」です。たとえ体格や身体能力に差があったとしても、技術によってその差を超越することができれば、老若男女、障害の有無にかかわらず、一緒にスポーツを楽しむことができます。「超人スポーツ」を応用することで、お年寄りや障害のある方でも、いきいきと生活することが可能になるでしょう。こうした技術が、超高齢社会に突入した日本はもちろん、世界中で当たり前に使われる日も、遠くはありません。

「人間の能力の拡張」は、今後どのように進んでいくと思われますか。

テクノロジーの方向性は、大きく二つに分けられます。「自動化」と「自在化」です。自動化は、人間がやりたがらない単純作業や反復作業を機械に任せること。自在化は、人の能力を拡張し、人間のやりたいことを可能にすること。私が取り組んでいるのは、後者の方向性です。

自動車を例にとれば、目的地まで何もしなくても連れて行ってくれるのが「自動化」で、素人がプロのレーサーのように格好良くコーナーを曲がれるようにするのが、「自在化」です。同じように、AIも、「自動化するAI」と、「自在化するAI」に分けられます。やりたくないことを任せるAIと、人間の能力を拡張することで、やりたいことを自在にできるようにするAI。後者の研究が、今後はより重要になってくると考えています。

さまざまな仕事を切り替えながら働く「人生多チャンネル時代」の到来

人間の能力が拡張される未来では、働き方はどのように変化するのでしょうか。

稲見 昌彦さん(東京大学先端科学技術センター 身体情報分野 教授)

「人生多チャンネル時代」が訪れるでしょう。農業の機械化によって作業が効率化され、農業以外の仕事も持つ、兼業農家が現れました。情報化が進めば、それによって生まれた時間を副業にあてる人が増えてくる可能性があります。自分の仕事をAIに任せ、AIが判断に困ったときだけ対処する、といった働き方の実現も予測され、多くの仕事を同時に進めることも当たり前になるはずです。

スマホが広く普及し、これまでゲームをやらなかった人たち、もしくは小さいころにゲームをやっていたが多忙でやめてしまった人たちが、気軽にゲームに興じるようになりました。モバイル、もしくはウエアラブルなデバイスを持っているがゆえに、隙間時間の全てが、エンターテインメント化されたわけです。同じように、隙間時間で小さな仕事をたくさんこなしていく時代が、もうそこまで来ています。言わば、「仕事のザッピング」です。

テレビのチャンネルが一つしかなかった状態が今までの働き方だとすると、それが多チャンネル化した状態が、これからの働き方です。必要に応じて、複数の仕事をリモコンでザッピングするかのように切り替えながら同時に進めることが可能になるのです。

しかも、役割に応じて自分自身を「変身」させることができます。一つ、面白い例をご紹介しましょう。ある大規模なオンラインRPGゲームで、強力なリーダーシップを発揮する、非常に有名なプレーヤーがいました。ゲーム上のキャラクターは男性だったのですが、プレイしていたのは、実は耳の不自由な女性だったのです。画面を通じてチャットでやり取りをするほかのプレーヤーたちは、彼女が女性であることにも、障害を持っていることにも気がつきませんでした。彼女はゲームの世界でそのキャラクターに「変身」し、リーダーとして他のプレーヤーを率いていたのです。

これは、ゲームの世界の話に限りません。東京大学の講師が、CGで女性のアバターを使って遠隔講義を行ったところ、普段の講義よりも学生の反応が良かったそうです。今、私がこの年齢、この性別で、この仕事をやっているのは、たまたま現実世界でそういうチャンネルにいるから。VRやARの技術が進化すれば、何かに変身して、違うキャラクターで仕事をすることが可能になります。

たとえば、保育士が幼稚園児の面倒を見ているとき、VRの世界の中では幼稚園児に変身して、遊んであげることもできるかもしれない。身体を入れ替えることで、新しい保育の形が生まれる。そのような事象が、あらゆる仕事で起こってくるでしょう。極端な話、私でもアイドルになれるかもしれません。これが、人間の能力が拡張した先の世界観です。

失敗しても大丈夫 「リアル」と「バーチャル」を組み合わせた生き方とは

さまざまなチャンネルに同時に存在することができる「人生多チャンネル時代」において、自分自身の存在や価値は、何によって決まるのでしょうか。

「自分の存在は、仕事もしくは身体で既定されている」――これが工業社会の特徴であり、今までの価値観でした。これに対して、服を着替えたり、メイクを変えたりするように、自分の存在をドラスチックに変えることができるのが、多チャンネル時代の特徴です。チャンネルを切り替えることで、まったく別の人生を送ることもできるでしょう。

今の時代は、リアルという1チャンネルしかない。そのため、現実の世界で失敗してしまえば、人生が終わったように感じてしまう人もいます。それではもったいないし、自由な生き方とは言えません。仮に100のチャンネルがあれば、そのうちの一つで失敗しても、他で頑張ればいい。もちろん、バーチャルなチャンネルがどれだけ増えても、リアルのチャンネルはそれなりに重要なものとして、今後も残るでしょう。ただ、それだけだと、人生も世の中もつまらない。

多くの職業をリアルとバーチャルの双方で体験できる社会になると、仕事はどう変わってくのでしょうか。

稲見 昌彦さん(東京大学先端科学技術センター 身体情報分野 教授)

変化は、大きく三つ考えられます。まず一つ目は、より自分の得意とする仕事への特化です。仕事の定義を「自分の行動によって他者に価値を与えること」とするならば、必ずしも現在のかたちにこだわる必要はありません。技術で代替できる部分はどんどん自動化、省力化を進めていく。その一方で、自分がやりたいと思っていたことや、相手が望んでいることに優先的に取り組んでいけばいい。

二つ目は、新たな「職種」の登場です。テクノロジーが発展すると、一部の特権階級にしかできなかったことが、一般にも広まっていきます。すると、そこに価値が生まれ、新たに仕事とする人が登場し、市場ができる。たとえば、スポーツもそうです。工業化によって日々の労働が楽になり、体を動かす余裕が生まれたことで、産業革命前は貴族の楽しみだったスポーツが多くの人へと広まっていった。そして、エンターテインメントとしての価値が形成され、プロ選手が生まれた。YouTuberなどの職業も同じく、テクノロジーの進化の産物と言えます。

三つめは、働き方の変化です。先ほど述べた「人生多チャンネル時代」の到来に伴い、「会社」のあり方は大きく変化するでしょう。これまでの会社は、社屋というハードに人や組織というソフトが組み合わさっている状態が一般的でした。しかし、今後は会社には価値を提供するメディアとしての機能だけが残り、「特定の会社に所属し、毎日オフィスへ通勤する」といった働き方はなくなります。目的に基づいて人が集まり、仕事が終わったら解散、というようなプロジェクトベースの働き方が増えていくのは、間違いないでしょう。