総合働き方改革 残された課題(中)「正社員」の見直し不十分 年功賃金・定年制の弊害大 八代尚宏・昭和女子大学特命教授
3月に公表された「働き方改革実行計画」では生産性向上への効果として、(1)正社員との格差是正で有期雇用者の働く意欲向上(2)長時間労働是正で時間当たり生産性向上と女性や高齢者の就業率向上(3)高付加価値産業への転職の円滑化――などを挙げている。
なぜ働き方の改善に政府の介入が必要なのか。現行の雇用慣行は過去の高成長と若年者中心の人口構造の下で大きな成果を上げたが、成長減速と高齢化で様々な不都合が生じている。過去の成功体験にとらわれた労使に委ねれば、必要な改革が進まない。この背中を押すことが政府の成長戦略としての働き方改革だ。
第1に有期雇用者の均等待遇を求める法改正では、同一労働同一賃金が中心課題となる。賃金格差は中高年層で最大となるが、これは正社員の年功賃金から生じている(図参照)。ガイドラインでは年功賃金を維持したまま、正社員と同じ勤続年数の有期雇用者に同一の基本給を支給すればよいという。これでは短期勤続が大部分の有期雇用者にとって、むしろ現行の賃金格差を正当化する論理になる。
情報通信技術が大きな役割を果たす社会では、勤続年数の長さが一律に生産性を高めるという前提自体が問われる。有期雇用者と同一労働の比較対象となる正社員との賃金差の合理性を事業者が示すことは、当初の働き方改革の目玉だった。労働者を差別していないことを事業者が立証する責任は欧米では常識だ。
またその根拠を具体的に示すには、個々の仕事と報酬を結びつける賃金体系の導入が必要となる。それは能力主義人事管理の普及を通じて企業利益にも寄与する。
同一労働同一賃金は、市場競争にさらされる有期雇用の労働意欲よりも、正社員の生産性を「見える化」し、その向上を目指すために必要だった。また同一職種間の転職が不利にならず、衰退分野から成長分野への労働移動の促進で経済成長にも貢献する。
第2に不合理な待遇差の是正を求める裁判外紛争解決手段の整備が挙げられている。しかし個別労働紛争に関する労働審判制度は既にある。正社員の働き方を正当化するガイドラインの下では、その活用の余地は小さいといえる。
第3に派遣労働者に派遣先と同一労働同一賃金を適用するのは、派遣先が変わるごとに賃金が変わるので困難だという。これは派遣労働が日本ではまれな同一労働同一賃金市場を既に形成しているためだ。むしろ事業者が類似業務の派遣社員と比べた正社員賃金の合理性を説明することが、同一賃金実現への早道だ。
今後増え続ける高齢者の活用を妨げる大きな障害が定年制である。実行計画では大企業を中心とした60歳定年と65歳までの継続雇用の組み合わせを、70歳まで延長することが示唆されている。この現行の働き方を単に延長する政策だけでは改革とはいえない。
同一労働同一賃金から大きくかい離しているのが定年前後の賃金だ。定年後再雇用されたトラック運転手を巡り、定年前と同一業務での賃金引き下げを不当とした訴訟が最近あった。これは米国では年齢差別として禁止されるが、日本では定年までの年功賃金とのバランスで問題視されていない。しかし今後、仕事能力のばらつきの大きな高齢者層が増加する中で、能力の高い高齢者を活用できない不公平で非効率な定年退職制の弊害は一層強まっている。
企業内で多様な業務を経験したうえで、例えば40歳代以降は自らに適した職種に専念する働き方が主流になれば、事業者にとって定年退職制を維持する必然性はなくなる。定年年齢引き上げでなく、それを職務給などの普及で不要にする方向への制度改革を真剣に検討すべきだろう。
慢性的な長時間労働は専業主婦を配偶者とする男性を暗黙の前提として、どんな仕事でもどこでも働く正社員の無限定の働き方と不可分の関係にある。だが市場の急成長が止まり共働き世帯が過半を占める現状ではそうした働き方の矛盾が強まっている。
実行計画では、現行の時間外労働の限度基準告示を法律に格上げし、罰則で強制力を持たせた。労使合意で上限規制を容易に越えられる現行制度と比べて大きな進歩だ。また労働時間の上限規制はいわば政府公認のカルテルで、事業者間の過剰なサービス競争への歯止めの役割も果たす。
その一方で、この労働時間規制をすべての労働者に画一的に適用すべきではない。労働時間に縛られない効率的な働き方が自発的に可能な専門職との組み合わせが求められる。国会に提出済みの高度プロフェッショナル制度の創設や企画業務型裁量労働制の見直しは、時間ではなく仕事の成果で評価される労働者を前提としている。年間104日の強制休業という安全弁との組み合わせで実現すべきだ。
もっとも、こうした新たな規制は実効性が確保されなければ絵に描いた餅となる。実行計画では、労働基準監督官による個々の事業場だけでなく本社への立ち入り調査や、企業名公表制度の拡大なども示された。しかし限られた数の監督官を補うための民間活用といった具体的な手段は全く明示されていない。
情報化時代の働き方としてテレワークの導入も急務だ。職務内容よりも、在宅という場所に限定して裁量労働制を適用し、育児や介護のために自由に仕事を中抜けできる仕組みとする。この場合にもパソコンのアクセス時間などで労働時間の総量を規制する必要はある。こうした通勤をしない働き方による女性や高齢者、仕事の乏しい地域の人材などの活用で、今後減少する人口の稼働率を高められる。
安倍政権の成長戦略の大きな柱は、同一労働同一賃金など働き方の改革だ。低成長期の労働市場では、長期雇用保障や年功昇進・賃金を保証することはもはや困難だ。にもかかわらず、過去の成功体験から無限定の働き方の正社員の雇用を不況期にも維持する調整弁として、より多くの有期雇用が必要となる。既に4割弱に達している有期雇用者比率は、定年後再雇用者の増加でさらに高まっていく。
主として工場労働者を対象とした長期雇用保障、年功賃金、慢性的な残業といった雇用慣行を、多様な働き方の労働者に画一的に適用する既存の法律や判例法には大きな問題がある。60歳時の平均余命が男性で23年、女性で29年に及ぶ時代に、年功賃金と定年再雇用の組み合わせは二重の非効率を生む。今日の労働法に求められるのは、単なる規制緩和や補助金の拡大ではなく、働き方ルールの明確化だ。
欧州型の解雇の金銭補償ルールの制定は、裁判に訴えられる労働者とそうでない労働者の大きな格差を是正する。裁判官の判断のばらつきを改善し、労働者や事業者の契約解消の際の予測可能性を高めるうえでも有意義だ。
自らの仕事能力に見合った適材適所の職場への円滑な転職には、退職金優遇税制など既存の職場にとどまらなければ不利となる制度的なゆがみの中立化も必要だ。
本来の働き方改革とは、従来の雇用慣行を前提とした小手先のものではない。足元では労働力不足が深刻となっており、働き方の改革を強いる市場の圧力は高まっている。従来十分に活用されていなかった女性や高齢者、外国人にも受け入れられやすい、多様な働き方に中立的な仕組みへの改革は始まったばかりだ。
ポイント
○同一賃金指針は現行の賃金格差正当化も
○労働時間に縛られない専門職創設も必要
○多様な働き方に中立的な仕組みづくりを

