イノベーションを創発する「働き方」

総合イノベーションを創発する「働き方」

「オランダで暮らした約9年の経験を、日本への恩返しにつなげられないかという思いから、帰国の決断をしました」。そう話すのは、コンサルティング企業である株式会社BOLBOP創業者・代表取締役の、酒井穣(さかい・じょう)さん。

酒井さんは、多数の著作があることで有名で、ビジネススクールの教授やNPOの理事としてもご活躍だ。東日本大震災の被災地においても、活動を続けている。介護にも深い知見をもち、介護メディアKAIGO LAB(http://kaigolab.com/)を立ち上げ、その編集長・主筆としても活動している。

酒井さんは、日常的に、人事コンサルティングと、新規事業開発コンサルティングを軸とした仕事をおこなっている。スタートアップ企業と大企業のマッチングもまた得意分野だ。ご自身でも、ヘルスケア領域において3社のスタートアップ企業に経営参画している。そうした意味では、一般のコンサルタントの枠を超えた、かなりユニークな存在だ。

酒井さんの活動は、幅が広すぎて、つかみどころがないようにも見えるかもしれない。しかし、酒井さんのすべての活動の根底には、成熟社会オランダで体験した「誰もが、なにかの犠牲にならずに、のびのびと生きられる社会」を実現するという使命感がある。

新規事業における組織の役割を考える

酒井さんは、スタートアップ支援をするなかで、大手企業とのマッチングまでおこなっていますが、その背景にはどのような考えがあるのでしょうか

(酒井氏)新規事業の創出は、日本にとって最重要の課題です。これを実現するには、複数の組織が、チームを組んでいくことが不可欠だと思っています。そのためには、個々の組織は、自分たちの強みをチームの中での「役割」として自覚していくことが大切です。実際に、なんでも自分でやろうとして成功している組織を私は知りません。逆に失敗の多くは「成功を独占したい」という発想の貧困が原因だと思っています。

たとえば、少なからぬ大企業は「新たな主軸となる新事業」をつくりだしたいと思っています。そして、大企業の目線から「主軸」と言えるような事業のスケールは、非常に大きいものです。そうした大企業の要求を満たせるスケールを100%としましょう。しかし、新規事業の創出というものは、そもそも、0%(なにもない状態)を1%にすることに命をかけるような仕事です。なんとか1%を生み出せたとしても、それは、大企業からすれば、求めている事業の100分の1にしか見えないものです。

では、大企業には新規事業の創出ができないのでしょうか。それは違います。大企業にしかできない、新規事業の創出における「役割」があります。それは、10%にまで到達しているスタートアップと組んで、それを10倍の100%にまで成長させるというものです。私の考えでは、大企業は、10%を100%にするプロセスに最適化されている組織なのです。

世間でよく言われるような「大企業にはイノベーション人材がいない」というのは間違いです。たんに、大企業がイノベーションを起こすときの「役割」が、スタートアップとは違うというだけのことなのです。大企業は、自分たちで0%を1%にしようとするのではなく、10%に到達している多数のスタートアップと関わるべきです。それらをポートフォリオとして管理しつつ、それぞれの成長を支援することで、この社会に巨大なイノベーションを起こすことができるでしょう。

逆に、0%を1%にして、それをさらに10%にまで高めるという世界は、失敗を前提としていないと不可能です。しかし、大企業は、失敗を許容する文化を持ちません。「チャレンジを評価する」と言うのは簡単ですが、本当にそんな大企業があるでしょうか。なんの実績もない、失敗ばかりの人材が昇進していく大企業が存在しますか?そもそも、大人の世界というのは、実績だけで評価されるものでしょう。「よく頑張っている」というのが褒め言葉になるのは、子供の世界だけです。

まずは、苦しくても大企業における「失敗できない文化」の存在を認めることが大切です。本気でこの文化を変えようとするなら、既存の株主に対して、収益が極端に下がることを認めてもらわなければなりません。上場企業の場合、それは、現実的なものではないでしょう。しかし、こうした文化を批判して「だから大企業はダメなんだ」というのは、大きな間違いです。むしろ、だからこそ大企業は成功してきたという歴史を直視するべきです。スタートアップと大企業とでは、単純に社会的な「役割」が違うのです。

イノベーションは‟0%から100%“のあらゆるところに存在する

組織の最適化された役割によって、イノベーションにおける役割が違うということですね。

(酒井氏)そうです。多くの人は、“0%から1%”を創り出すことがイノベーションだと思っていますが、それは間違いです。イノベーションは“0%から100%”までのあらゆるとこに存在します。そのイノベーションを引き出すためには、スタートアップと大企業が、事業創造におけるお互いの「役割」を理解し、関係管理をおこなっていくことが必要となってきます。

歴史的に “10%から100%”に最適化されてきた大企業が、“0%から1%”に最適化されたスタートアップと関係管理をおこなうことによって、多数の雇用創出につながる、社会的に本当に意義のある新規事業が生まれてきます。大企業間の競争は、こうした関係管理を通して「スタートアップの目利き」に強くなり“9%から100%”“8%から100%”と、より未熟なスタートアップとも付き合えるようになっていくところで起こっています。この組織学習を進めていくことが、大企業にとって現実的で意味のあるイノベーション人材の育成です。この文脈では「アイデアにあふれた人材」は必要ありません。「進捗管理に強いジェネラリスト」が、多数のスタートアップと関係を構築し、それらをポートフォリオとして管理してる状態が理想です。大企業には、創造力ではなくて「だれが、なにを、いつまでに」というPDCAをしっかりと回転させられる能力のほうが重要です。

大企業のみなさん、胸に手をあててみてください。スタートアップをやるということは、日々の9割は失敗するということです。そうしたことを本音で望んでいますか? 本音では「アイデアにあふれた人材」と「進捗管理に強いジェネラリスト」のどちらを信頼しますか?部下にするなら、どちらのタイプですか?その本音で考えてみたとき、大企業の「役割」に自覚的であることの重要性が理解できると思うのです。

「遊び」が生むイノベーションのクリエイティビティ

そうした人材育成や組織学習の考え方は、長年オランダでビジネスをおこなってきた酒井さんご自身の経験が活かされているのでしょうか。

(酒井氏)影響はあるとは思いますが、日本の組織学習や人材育成が世界と比べて劣っているとは思っていません。ただ、これまで述べてきたような“0%から100%”のイノベーションを起こすために重要な「働き方」についてはオランダから学ぶことは多くありました。

客観的にみても、オランダのほうが労働時間がずっと短く、そのことによって、社会レベルでの“0%から100%”のイノベーションが起こりやすくなっているのです。現在、日本でも残業を減らす動きが活発化してきていますが、私はこれを良いことと本気で考えています。しかし、日本のビジネスパーソンの主流は、本音では、労働時間を減らすことに対して、まだネガティブでしょう。

「残業は仕方がない」という人もいますが、そんなことはありません。ここまで話してきた「役割」を自覚し、それに集中すれば、労働時間が短いほうが、むしろ大きな成果を生み出すことができます。しかし、日本のビジネスパーソンが、こうした考えを理解できないのは仕方がないことです。オランダのような、実際に、これが機能している世界を見たことがないのですから。

実は、大事なのは、労働時間が短いことではなくて、余白として使える時間が十分にあることです。これは実質的には同じことですが、考え方としては、余白の重要性に気づくことがポイントです。その余白をなにに使うかというと、人間は、ほうっておいても、自然にこれを「遊び」に使います。進化生物学的にも、こうした「遊び」こそ、イノベーションに直結するものなのです。

「遊び」がイノベーションに必要なクリエイティビティを生んでいくとは、興味深い話ですね。

(酒井氏)進化生物学の世界では、動物の「遊び」がイノベーションにつながるというのは、常識です。たとえば、仙台周辺のハシボソガラスの事例は有名でしょう。このあたりのハシボソガラスは、クルミを上空から路上に落として、車にそのクルミを割らせるという行動をとります。現在では、驚くことに、赤信号で止まっている車のタイヤの下にクルミを置いて、より効率的に車にクルミを割らせるようなハシボソガラスも出てきています。

この行為はもともと、ハシボソガラスが、上空からクルミなどのモノを落として音が鳴ることを楽しむという「遊び」から生まれたイノベーションです。そのなかで、たまたま車がクルミを割り、そこから新しい食べ物がえられることに気づいたのです。このように、動物の「遊び」は、優れた結果を想定しておこなわれるものではなく、あとから振り返ったときに生産性が生まれているというものなのです。「やぶへび」というように「やぶ」を突いていたら「へび」が出ることもあります。しかし、そこからイノベーションが生まれることもあるのです。

動物は、時間に余白があるとき「やぶ」を突くという本能をもっています。そうした本能が、なぜ、長い進化の過程で獲得されてきたのかを、よくよく考えてみてください。「遊び」には、進化の上で有利になる合理性があるということです。それが“0%から100%”のイノベーションのプロセスを活性化させるといったことがなければ、「遊び」をする動物は淘汰され、現在は生き残っていないはずなのです。

企業が長期的に市場で勝っていくためには、こうした進化上の合理性についても自覚的でなければならないでしょう。ですから、現在の流行になっている「働き方改革」の視点としても、単に、残業を減らすことばかりに注目するのではなく、余白の過ごし方について考えていくべきなのです。

たとえば、あなたが頻繁にやりとりをする人物をリストアップしてみてください。もし、そのリストが、属性の似ている人ばかりで多様性がない場合は、要注意です。そこには意味のある「遊び」がないということだからです。ある意味で真面目なのかもしれませんが、真面目であることは、大人の世界では評価されないというのは、先の述べたとおりです。

ADVISE

新事業創出に向けた酒井さんからのメッセージ

プロジェクトとは「新たなルーティンワーク」をつくること

「新規事業創出には“使命感”“独創性”“実現可能性”といった3つの要素が関わってきます。この3つの要素をすべて兼ね備えている人は、まず存在しません。特に“独創性”の部分は、大企業が苦手とする分野なのですが、それを恥じる必要はありません。“0%から100%”を生み出すという“使命感”を共有するチームの中で、強みを活かせる「役割」が違うだけだからです。あまり語られませんが“独創性”というのは才能でもあります。それを無理に育てようとするよりも、得意な「役割」に集中すべきです」と酒井さんは話す。

新規事業の創出は自分にはできない、関係ないというのは違う。酒井さんは、大企業において新規事業の創出ができる人材になるためには、プロジェクトの経験を積んでいくことが重要だと話す。

「プロジェクトとは、個人や組織がやったことのない『新たなルーティンワーク』をつくることです。つまりは、マニュアルやワークフローが存在しない『新たなルーティンワーク』をつくり出せたかということがプロジェクトの成果物となります」。

この「新たなルーティンワーク」をつくりだすプロセスの経験が“0%から100%”という旅における大企業の「役割」を強化することにつながるというのだ。また、そのプロセスの第一歩は、過去から現在にいたる事例研究を徹底的に勉強することにあると酒井さんはいう。

「プロジェクトとは、ある課題を解決する目的のもと立ち上がっていくものです。しかし、その課題のほとんどは、世界で初めて見つかったものではありません。そこで大事なのが、その課題に対して、世界中の先輩たちがどうアプローチをしてきたかという事例を研究することです。その事例研究とは机の上だけでおこなうのではありません。人に会ったり、課題が起きている現場に訪れたりと、自分の実体験としての研究も大切です。新しいことを前にすすめるためには『新規性』と『進歩性』のいずれかが必要となってきます。そのためには過去から現在にいたる研究をおこない、どこで『新規性』と『進歩性』が求められているかを整理することができないとなりません。これができて、ようやく“0%から100%”の旅における“10%から100%”を任せられる人材になれるでしょう」。