それ、人材のムダ遣いです

総合それ、人材のムダ遣いです

「スローガン」が行っているのは、大学生や若い人材とベンチャー企業をマッチングさせる就職支援事業です。

私が会社を立ち上げたのは2005年のことなのですが、実際に採用の現場で多くの人たちと接していると、この7、8年で若者の企業に対する視線もずいぶんと変わったなと思います。

例えば、東京大学を卒業した学生が楽天やDeNAを就職先に選ぶのは、いまではまったく自然なこととして捉えられていますよね。楽天グループの社員数は約1万人、DeNAは2000人強。いずれも誰もが認める大企業です。でも、つい5年ほど前に遡れば、ちょっと固い親なんかには反対されたり、「大丈夫なの?」と周囲から思われたりする選択だったわけですよ。

インターネットの黎明期の起業だったということもあるにせよ、10年足らずで親世代すら認める大企業へと成長したという事実は、ある種の高学歴層の就職観の根底を変えつつあると私は感じるんです。今の学生たちから見れば、会社が10倍、20倍と大きくなっていくフェーズを一回り上の先輩が担っていたわけですから、自分も同じような体験を社会に出てしてみたいと考えるのは不思議ではありません。

一時期、メーカーに代表される日本の有名企業の業績が縮小していく中で、高給を取れる外資系金融やコンサルティング会社への就職が「優秀な学生」の間で流行りました。でも、それらも結局は「日本支社」への就職でしかなく、事業を創るというキャリアではないという現実を踏まえると、意識の高い学生にとってどちらがより希望に満ちているように見えるか――。

そうした時代の中で育ったことで、昔であれば一直線に大企業へ就職したような学生たちの中に、「5年前のDeNA」や「社員数100人の頃の楽天」を探そうとする人が増えてくるのは自然な流れだと考えています。

それからベンチャーの界隈では最近、採用のキャッチコピーとして「何をやるかではなく、誰とやるかだ」という呼びかけがよく使われていますよね。「尊敬し合える仲間と一緒に働けるとことが大事であって、何をやるかは時代ごとに変わってくる」という仕事観。良いチームに所属することが自分を高め、キャリアをつくる上で大切だという考え方はベンチャーとの親和性が高いわけです。これも入社後にどの部署で誰と働くのかがわからない「配属リスク」のある大企業に対する一つのアンチテーゼですよね。

このままじゃ「普通」になる

私が「スローガン」を立ち上げ、こうしたベンチャー企業と人材のマッチングを事業にしたのは、ベンチャー企業は玉石混交で、小さな会社であるほど経営者の価値観や理念と合うか合わないかが重要になるからです。よっていま現在数百人以下の規模で、これから伸びていきそうな企業を選別し、若い求職者とマッチングさせる機能が社会にもっともっと必要だと考えたんですね。

私にはこの事業に社会的な意義があるという思いがあります。

その思いの背景には、以前にIBMというそれこそ大企業で働いていたときの体験がありました。

学生の頃の私は、「エクセレントな会社に入れば、自分もエクセレントな人材になれるんじゃないか」という思い違いをしていました。それで実際に入社して違和感を抱いたのですが、それはよく考えてみれば当たり前のことでした。社員が2万人もいる会社というのは、人ではなく仕組みが優秀なんです。その意味で働く社員の多くはそこそこに優秀であるか、「普通」の人材であればいい。どんな人たちが集まっても高い価値を出せるような仕組みをつくれたからこそ、あれだけの大きな会社になれたわけです。

当時の私は官公庁のシステムをつくる部署にいました。プロジェクトはすでに7年目に入っていましたが、さらに7年間続く14年計画の8期目――みたいな仕事です。そこで誰が使うのかもよくわからない画面をずっとつくっていると、まさに仕組みの中で働いている実感だけは強く得られましたね。

そのころはまだ20代で、自分の人生や働き方をこれから模索していこうとしている自分にとっては、何か恐ろしいことのような気がしました。「このままいるとこの素晴らしい仕組みの中で、自分自身はすごく普通の人材になってしまうかもしれない」という危機感を持ったんです。

もちろんIBMだって、昔は志に溢れた会社だったはずです。ただ、組織の雰囲気は企業の成長カーブやライフサイクルの成熟度に左右されるんですね。私が入社した頃の日本IBMは社員数もピークを迎えた成熟期にあって、以降10年間近く、減収減益が続く衰退フェーズを迎える時期にありました。

日本衰退の一因は「人材の無駄遣い」

私がいた2004年当時は、「日本というマーケットは伸びない。あとはシュリンクするだけだから、適当にやってくれ」といった雰囲気が確かにありました。新しいことはするな、新規投資もするな。アメリカ人たちは「アジアはチャイナやインドに投資するから、ジャパンは粛々とやれ」と言っていて、悔しかったですね。日本支社が沈んでいくのを目の当たりにしながら、何もできていない自分にすごく悶々としていました。

それで周りを見れば、優秀な人材がたくさんいるんですよ。日本で優秀な人材がいるのは、こういうすでにでき上がった大企業なんですね。

彼らはみな向上心のある努力のできる人たちなのに、一生懸命に仕事をしている割に世の中に対してポジティブなインパクトを生みだせていないように感じていました。アメリカ人たちは「日本市場はシュリンクする」と言っているけれど、その原因はこうした人材が大企業に集中して無駄遣いされているからなんじゃないか、と強く思うようになったんです。

一度だけ私は出向で規模の小さな関連会社で働いたのですが、小さい会社というのは「優秀な仕組み」がないが故に、突出した個人や優秀な人材が喉から手が出るほど必要とされているんです。でも、会社が小さかったり無名だったりという理由だけで採用に苦労している。一方で大きい会社は有名だから人は集まるんだけど、実はすでに仕組みがあるから、そこまで優れた人は多くは必要とされていない。

当時の自分も含めて、要するに努力する場所を間違えているから、閉塞感を抱くんですよね。仕事をする上で努力は大切だけれど、それは私で言えばIBMではなく、もっと自分の能力を使える場所、小さくてもいいからダイレクトにマイナスをプラスに転じられるような場所ですべきなんだ、って。このミスマッチに日本のいまの閉塞感の理由があるのではないか、という仮説が「スローガン」の事業の始まりです。

もしもいま大企業で「普通の人」として働いている優秀な人たちが、自分の能力と時間を使う場所を変えれば、世の中はもっといい方向に回転するはずです。

これが日本でも定着するかはまだわかりませんが、海外では「Facebookの26番目」とか「Twitterの30番目」といった社員番号の若さが、後のキャリアにとってのステータスとして語られてもいます。それだけ濃い経験と人脈を持っているだろう、とみなされるからです。

歴史に残るようなベンチャーの黎明期のメンバーであったことが、その人にとっての大きな価値として認められる社会ができれば、ベンチャーへの志向性は増してくるはずです。いま私たちがやっている事業を、その流れをつくり出す拠点の一つにしていきたいんです。