総合経歴詐称だらけのグローバル採用。日本企業はダマしやすい!?
採用活動における経歴は信用できるのか
企業が起こした最近の不祥事を見ると、データの偽装が非常に多い。免震ゴムのデータ偽装、くい打ちデータの偽装、自動車メーカーによる燃費データの偽装……。技術によって性能を上げることができず、データを偽装して性能を高く見せようとした結果だ。結局、某自動車メーカーはライバル企業の傘下に入ってゼロからやり直すことになった。
かつての日本企業には、商品やサービスの性能に対する絶対的な信頼があった。それが崩れてしまいつつある現在、企業活動そのものの「信頼性」に対して、社会的な興味関心がかつてないほど高まっているように思える。
一方、最近では、企業側の「偽装」だけでなく、採用される人材側が「偽装」を行っているケースも増えているという。
先日、アジア・ヨーロッパ・中東など、世界を股にかけて活躍する外国人の知人が訪ねてきて、「忙しくて仕方がない」と話していた。彼が従事している仕事は、個人の学歴や経歴データの認証をするサービスだ。
個人に内緒のままいろいろと調査する「興信所」的なものではなく、個人側の申請に基づき経歴を認証するもので、法的な配慮はなされており、各国の政府機関などが顧客だという。本当にその大学を出たのか、その会社で働いていたのか、その資格を持っているのか。構築した全世界的なネットワークを利用して調査し、経歴データの詐称が行われていないことを保証する。国際間での人材の流動化が進む中、政府や企業が学歴や経歴の詐称に頭を悩ませるケースが増えているから、このようなサービスが成長している。
日本でも、テレビのコメンテーターなどの有名人の経歴詐称は何例も思い出せる。アカデミズムの世界においても、あの東京大学ですらすっかり騙されたことがあった。大学の学位に関していえば、昔からお金を出せば誰にでも博士号等を出してくれる「ディプロマミル」の問題がある。日本国内の経歴ならまだしも、海外での経歴となると、本人の承諾を得て確認を取るのも一苦労だ。外国語で外国の機関に問い合わせるのは面倒くさいし、卒業証書や成績証明書のフォーマットも見慣れていないから「これです」と言われれば信じてしまう。つまり、国際間の経歴詐称は「やり放題」と言っていい状態なのだ。
日本企業はこれまで積極的に海外の人材を採用してこなかったので、経歴詐称に対する免疫もあまりない。これからは、経歴詐称に悩まされる企業が増えていくだろう。すでに騙されている企業も実は多数あるらしい。
先述の彼から聞いた経歴詐称の一例を挙げよう。本当は「CERTIFICATE」と呼ばれる「修了証」がもらえる短期コースを出ただけなのに、「修士」と偽る。机と電話とパソコンしか置いていないゴースト大学やゴースト会社を経歴に入れる。「それっぽい」偽装を施した卒業証書を提出する。Aという大学を卒業したことまでは本当だが、学科やコースを偽る。驚くべきことだが、医学部や看護学部を出ていないのに医療従事者の免許を持っていると言い張る「偽医師、偽看護士」も少なくないという。
日本の高信頼社会が崩れる日も近い
積極的に海外の人材を採用してこなかったせいでもあるが、これまで日本では、経歴詐称はそこまで問題視されてこなかった。逆にいえば、レアケースだからこそ、有名人の経歴詐称が大ごとにされてきたのだ。これは国民性が関係しているのだろうか。
たとえばサッカーの国際試合などで、蹴られてもいないのに「蹴られた!!」と大袈裟に審判にアピールする外国チームを見かける。これは「マリーシア」などとも呼ばれ、上手に試合を作る技術としてポジティブに語られることさえある。日本チームはあまりそういう「偽証」はしない。
国により大きく異なる対応は、各国で歴史的に形成されてきた社会環境に影響を受けているのではないか。
もはや古典になった感もあるフランシス・フクヤマの「Trust(信なくば立たず)」には、市民の自発的社交が発揮された日本、アメリカ、ドイツなどの社会では、国家でも縁戚でもない中間的なコミュニティが発達し、そこから高信頼社会(お互いに騙し、騙されない社会)が生まれたと書かれている。
一方、その他多くの国では、協力的な中央集権化の時代を経た結果、中間的な組織は破壊され、血縁関係を中心とした同族以外には頼れない低信頼社会(ファミリーとそれ以外を分け、信頼するのはファミリーだけという社会)が形成されたという。そのため、他者との間に信頼関係を作り出しづらいという。
このように考えていくと、やはり「偽る」ということに対しては、社会環境が生み出した国民性が関係すると言ってよさそうだ。日本のような閉じた社会では、少し誰かに尋ねただけで知り合いや関係者につながってしまう。メンバーが固定化された狭くて「詐称がバレやすい」環境が詐称への抑止力になっていたとも考えられるのだ。しかし、日本人も低信頼社会に入って働こうとすれば、「郷に入っては郷に従え」で、経歴詐称くらいはやってしまうのではないか。グローバル化によって日本の環境も少なからず影響を受けるだろう。
グローバル採用では人脈を駆使して事実確認を
詐称とまではいかなくとも、これまでの日本においても経歴を「盛る」程度の人は大勢いた。「成功を収めたプロジェクトに携わった」などと言っても、立ち上げの一番大変な時期を経験した人と、ビジネスが軌道に乗り出してからの人と、安定運用になってからの人とでは、「すごさ」が全く違う。しかし、「携わった」というのは事実だ(これが土地勘さえない外国のプロジェクトの話なら、たくさん盛られてもわからない)。
かつて、A社からの転職希望者を徹底的に受け入れない会社があった。なんのことはない。表向きは「A社の人材はうんたらかんたらの問題がある……」と言っていたが、本当は人事担当役員がA社からその会社に転職する際、ありもしないA社での武勇伝をいろいろ語っており、それがバレたら困る、という笑えるような話がその理由だった。
メディアに出ているからと言って、信用できるわけではない。「Amazonランキング1位」という宣伝文句のように、一瞬の成績が功績になる。瞬間最大風速的なトップ営業マンが何人もいる会社もあるし、経営者が「成功を収めた○○事業を育てた」と語っていても、たまたまそのときトップだっただけ、ということのほうが多い。ましてや会社の歴史は改ざんされるから、真の立役者の功績をわが物のようにしている人などいくらでもいる。
結局のところ、何が嘘で何が本当かわからないのが世の中なのだ。
そうなると、特に海外採用においては、信頼できる現地エージェントを活用したり、先に紹介した認証サービスを使ったりと、あの手この手で詐称に対抗していかなくてはならない。とはいえ、やはり一番信用できるのは、一緒に仕事をしたことのある信用できる「知り合い」だ。腰を落ち着けて地域の人脈を作り、それを地道に活用することがやはり必要なのだと思う。