総合DeNAファンのみ採用!2代目社長の真剣理由 リフォーム会社が極める全員野球経営とは?
先日、中小企業の社長さんが集まる会合で、日頃の悩みごとを聞く機会がありました。皆さん、一国一城の主として、言うに言われぬ苦労があります。後継者問題、採用対策、赤字部署のテコ入れなど、悩みは尽きません。その中でも深刻なのが、従業員の退職問題。昨日までニコニコと仕事をしていた社員が、翌日突然会社に来なくなりそのまま退社、といった極端な例もあるそうです。
今回ご紹介するのは、そんな散歩を日課としている志村保秀社長さん。滋賀県八幡市でリフォーム・プロパンガス販売の「ジェイジェイエフ」を経営しています。この会社、早朝散歩もユニークですが、おもしろいのはその採用条件。面接で「ベイスターズのファンです」と言わないと不採用になるのです。
社業の拡大が社員の離反を招く
今年、横浜DeNAベイスターズは、11年ぶりのAクラス、そして初のクライマックスリーグ進出、ということで、苦楽を共にしてきたファンたちも喜んでいます。志村社長もその一人。低迷が続いてファンが離れていった時代でも、ベイスターズを応援し続けたかいがありました。人一倍喜ぶのには、理由があります。会社存亡の危機をベイスターズに救われた経験があるからです。
この会社、もともとはプロパンガス屋さんで、志村社長のお父さんが営んでいた「近江ガス」が前身です。しかし、都市ガスの普及、オール電化の波などから先細りが懸念されました。事業を引き継いだ志村社長は思い切って社名を変更。ガス以外の事業にも進出しようということで、JJFという変わった名前を考えました。
「ローリング・ストーンズのシングル曲『ジャンピング・ジャック・フラッシュ』の頭文字です。長いので、ジェイ・ジェイ・エフにしました」
実は志村社長、学生時代にアマチュアバンドを結成。自作自演のロック調コミックソングでTV出演も果たし、「ヤマハポピュラーソングコンテスト」近畿大会優勝の経験もあります。ちなみに、当時ギターを担当していた米澤光由氏は、後に「ZARD」の作曲も手掛けるなど、メンバーも実力者ぞろいでした。
そんな経験から、ローリング・ストーンズの楽曲を社名にしたのですが、もうひとつ深い思いもあるそうです。「その歌詞に ♪ガス、ガス、ガス(嘘っぱち、ハッタリ、絵空事だ)というのがあるのです。自分の中ではガスを忘れたくないのです」
社名変更の翌年から、水道事業にも参入。建築現場で重宝がられる「水道工事もできるガス屋」として一定の評価も得られるようになります。しかしすばらしい技術や労働力があっても、下請けは下請け。やはりエンドユーザー向けの仕事に携わりたいという思いから、リフォーム事業に進出することになります。
ところがそれが、社内で軋轢を生みます。同じ会社に、元請けの顔色をうかがう部門と一般顧客を相手にする部門が併存することになり、関係がギクシャクし始めたのです。退社者が続出し、20人いた従業員は、わずか6名にまで減ってしまいました。社業の拡大が裏目に出たのです。
「私もワンマンでしたし、ピラミッド型の組織であったのもいけなかったかもしれません。でも残って欲しい人が残ってくれたので、それだけは救いでした」。ちょうど前年は、権藤監督率いるベイスターズが日本一になった年でした。関西では珍しく、父親の代から根っからのベイスターズ・ファンだった志村社長は、悲願の優勝を遂げてくれた権藤野球に、会社の危機を乗り切るヒントを見出します。『権藤語録』を繰り返し読み、その言葉は逆境にある志村社長の胸に深くしみました。
リフォーム会社が推進する全員野球経営
志村社長はまず、権藤監督の就任時のスピーチに感銘を受けます。
「皆さんはプロなので、プロらしくやってください。以上」
残った6名の社員は少数精鋭のプロです。組織がピラミッド型のまま、志村社長がその上に君臨しても意味がありません。ベイスターズのようにフラットな組織にし、社員たちに仕事を任せることにしました。権藤監督が標榜した「奔放主義」がそのお手本です。
「中小企業で伸びているところは、やる気のある社員が残っています。そのためには、自主性を重んじて、自発的にやらせることです。権藤野球のように、社員一人ひとりの力を信ずることから始めました」
リフォームの見積もりも社員個々の裁量に任せました。社員たちは、自由であるがゆえに責任やプレッシャーも感じますが、成約に至った時の喜びは格別だと言います。志村社長の口癖は「自由・責任・面白い」ですが、責任感を持って自由に決めそれが成果に結びつけば、まさに仕事が「面白く」なるのです。
そしてこの面白さは、会社の至るところに発見できます。まず、社屋が5階建てで八角形をしています。建築コストも高くテナントも入りにくいのになぜそんな形にしたのかと言えば「その方が面白い」から、と実に単純です。でも、八角形だからこそTVの取材もあり、営業での話題作りにもなります。変わっていることの効用もあるのです。
朝礼も元気です。全員DeNAのスタジャン姿で登場し、円陣を組み歓声を上げます。契約成立を報告した社員は、全員に取り囲まれハイタッチされます。元気朝礼の勢いのままお客を訪問すれば、営業にも弾みが出ます。
何よりも面白いのは、その採用基準。面接では必ず「野球チームはどこのファン?」と聞かれますが、「ベイスターズのファンです!」と答えなければいけません。それが嘘でもいいのです。ベイスターズ一色の会社なのだから、それに合わせた協調性を示せるかどうか、が重要なのです。
また面接官の意をくんで、当意即妙に答えられるか、も見ています。その機転は、入社後、営業の場面でも生かせるはずです。
「バス釣りの法則」とは?
もうひとつ、志村社長が強調するのが「バス釣りの法則」です。ブラックバスを釣るには疑似餌を使いますが、40cmほどの知恵がついたブラックバスは引っかかりません。でも、20cmほどの経験の浅いブラックバスは食いついてきます。ジェイジェイエフが欲しいのは、そんな素直な人材なのです。素直だからこそ、ベイスターズのスタジャンを着て仕事をしても大丈夫、朝礼でハイタッチしても恥ずかしさを感じません。社風に同化し、共に戦う仲間になれるのです。
ではそうして「釣った」20cmのブラックバスで、どのような営業をするのでしょうか。率直なので、口八丁手八丁の営業はできません。志村社長も、会社のホームページで「当社の欠点は営業ができないこと」と告白しています。しかし、実はお客は強引な売り込みを望んではいません。そうした旧来型の営業ではなく、誠実に、提案力で勝負するのがジェイジェイエフのやり方なのです。
見積書の表紙に凝り、六つ折りの名刺を渡し、自社紹介DVDを提供します。リフォームの仕事が終わっても、定期的に訪問し、不具合があればできるだけ無償で修理します。そうした地道な努力で、お客の信頼を勝ち得、ついには会社名でなく担当者の名前で覚えられるようになれば本物です。次の契約までの期間はアフターサービス、お客様はエンドレスユーザーという考えがその根底にあります。
売り上げの9割がリピートと紹介、つまり既存顧客からの成果であるのは、そんな努力の賜物なのです。
ジェイジェイエフは、本体の他、5社ののれん分けの会社があります。2社は彦根市と草津市、他の3社は本体と同じビル内にありますが、会社としては独立して各々でマネジメントを行っています。総勢30人。本体が10人、のれん分け会社が各々3~5人で構成されています。FC料を本体に収めますが、事務機器なども利用、ホームページやチラシなどを共有できます。
しかし、多くの企業はのれん分けをしたくてもできない、というのが本音です。その大きな理由に、自己資本比率が低いことがあります。資金を銀行から借りて運転しているのですが、のれん分けするというと、銀行はいい顔をしません。またのれん分けをしたい社員が見つからない、ということもあります。社員のままでいい、というのが大勢で、独立意欲のある人はのれん分けよりゼロからのスタートを選びます。
基本的に、実力があって元の会社が好きだという人間がいないと、のれん分けは難しいのです。また広告費、採用費用など、分母が大きいと効率化できる部分も、個々対応ではスケールメリットが働きません。多くのクリアすべきハードルがあるのです。
それでも、「社員に任せる」究極の形が、のれん分けである、という志村社長の信念は揺るぎません。苦しかった時代に残ってくれた6人の中から3人をリフォーム会社の社長に抜擢。その会社にお客様がすべて付いてきてくれること、そして部下が全員付いてくること、を条件にのれん分け経営を推進しました。
その結果、少人数、フラット型組織がさらに徹底され、仕入れ、原価計算、職人の手配なども各社ごとに見直して、生産性、利益率も向上したと言います。6月期決算では、各社黒字を確保する勢いです。
社長は月の半分がタイ暮らし
実はこの「のれん分け」にも、志村社長の深謀遠慮があります。当社は「キャンプ」と称して、年1回、微笑みの国・タイへの慰安旅行を実施していますが、志村社長自身、月の半分をそのタイで過ごしています。
これも、「のれん分け」経営で、権限を現場に移譲しているからこそできるのです。志村社長はまた、50歳でセミリタイアして悠々自適に暮らしたいと思っていますが、そこで問題となるのが、後継者のこと。無論息子さんも候補者ですが、そうすると60歳まで頑張らねばならず、それよりものれん分けという形で事業承継ができないか、と考えているのです。
最近、志村社長は持論の『任せる経営』という本を出版しましたが、その中で、あこがれの権藤元監督との対談が実現しました(対談DVD付き)。「権藤野球の精神をまねた帰結が『のれん分け』でした」と謙遜する志村社長に向かい、権藤さんは、プロになる前から稲尾和久投手の真似をしていたと告白します。「それでも、稲尾さんのようには投げられず、権藤の形でした。いくら私のスタイルをまねしたと言われても、出来上がったものはあくまで志村スタイルなんです。志村さんのまねは出色の出来栄えだと思いますよ」と励まされました。
思わず権藤さんの手を握った志村社長の全身からは、DeNAファンでよかった、という喜びがあふれているようでした。