総合「一流企業出身」はUターン転職では価値がない
誰からも歓迎されない
サプライズ地方転職は禁物
地元に帰って仕事をするUターン転職。みんなに歓迎されている!と思い込んでいるのは、あなただけかもしれません

前回から、キャリアチェンジにおける“複線”を話題にしています。複線の複は複数の複です。正副の副ではないことに注意してください。つまり、どちらかが主でどちらかが従というものではありません。仕事が複線化することを意味していますが、場合によっては住むところが複数になることもあります。
いわゆるU・I・Jターンをしてキャリアチェンジする場合なら、いきなり別の場所に移住してしまうのではなく、複数拠点に滞在しながら徐々に軸足を移すのが望ましいやり方です。
準備期間を設け、“複住”をしてみるのです。
ちなみにUターンとは自分の生まれ故郷に帰ってキャリアを再スタートさせること、Iターンは縁も所縁もない場所での再スタート、Jターンは生まれ故郷の近くだが異なる場所で再スタートすることを意味します。たとえば青森出身の方が、同じ東北地方ですが青森とは異なる仙台でキャリアを再スタートさせるような場合をJターンといいます。
いずれにしても、今住んでいるところからいきなり別の場所に移り住むのはリスキーです。
特にIターンでのいきなり移住は危険です。知らない場所に行く以上、転職にせよ起業にせよ、何年か掛けて何度となくその土地に通い、なじみの場所を作り、人脈を作るべきです。
そうやって、移り住む際にその土地の人の皆さんに「とうとう来たね」と言わせることが肝要なのです。
前回の最後に「サプライズは禁物」と書きましたが、それは出る側の組織の人間、これまでの関係者に対してだけでなく、行く先の組織や土地、関係者に対しても同じなのです。
去っていく組織の人に「とうとうやるんだね」「ついに行くんだね」といわれるように、行く先の人たちから「とうとう来たね」「待ってました!」と歓迎されることこそ、あなたの門出を彩る言葉であるべきなのです。
「故郷に帰るから怖くない」が危険!
実は地元で歓迎されないUターン
では、Uターンの場合はどうでしょうか?
Uターンであれば、「故郷に帰るのだから怖くない」「よく知っている環境だし、人脈もある」と考えがちです。しかし、本当にそうでしょうか?この思い込みが大変危険なのです。Uターンも意外とリスキーだということも、覚えておいてください。
多くの場合、東京や大阪などといった大都市圏以外に故郷があって、そこから大学入学・就職などに際して東京や大阪に出てきて、生活を開始する。その後、都会に根を張って、生活の拠点も作ってきたけど、何らかの事情で何年か何十年か後に故郷に帰るというのが通常のパターンでしょう。
あえて言葉を選ばず言うなら、そうした場合、“一度故郷を捨てている”わけです。それでも人間の心のなせる業でしょうか、帰郷する際には、帰る側は郷愁いっぱい、良い思い出しか思い出さないものです。
しかし、故郷に今でもいる旧友たちはどうでしょうか?同じ思いでしょうか?いや、彼らがあなたのことをどう思っているかはわかりません。必ずしも良く思っているとは限らない。待ち焦がれているとはとても思えません。たまに帰る時には優しく迎え入れてくれるとしても、そこに定住するとなると話は別です。
まず注意すべきは、ずっと故郷にいる人たちのヒエラルキーは昔のままであることが多いということです。中学校くらいの人間関係をそのまま保っている場合が多いものです。その当時の序列を崩すことは多分できないと思ったほうがいい。もしかすれば、それが嫌だから出ていったのではないでしょうか?そうであるとすれば、その渦の中にまた戻るということをまず覚悟しなければなりません。しかも、一度故郷を捨てたというハンデまで背負っているのです。
さらに、こちら側の心のおごりが問題になることもあります。
どういうことか。こちらは都会でそれなりの成功を収め、故郷に“凱旋”する気分かもしれませんが、相手はそうは思ってくれないということです。
「自分は東京の一流大学を卒業した。一流企業に就職して、世界を股にかけて仕事をしてきた。管理職にもなった(どうだ、すごいだろう!)」と、口には出さないかもしれませんが、そんな気持ちが心の中にあるとしたら、極めて危険です。
そんなことで、仲間の中での序列が一気に上がると思うのは大間違いです。一流大学卒や一流企業経験は地方ではほとんど価値がありません。むしろ、都会での価値観を持ち込もうとする意識こそが最も嫌われるのだと覚えておいてください。
凱旋という言葉を使いましたが、今はあまり使われなくなった言葉があります。「故郷に錦を飾る」です。素敵な響きです。しかし、実際にはどうでしょうか。
もし、人もうらやむような大成功を収めているとするなら、この段階でUターンすることは少ないのではないでしょうか。「夢破れて逃げ帰る」とまでは言いませんが、本当に「錦を飾る」というのは「大政治家になって帰ってくる」くらいかもしれません。
本音は「ここらでリセットしたい」「再スタートの気持ち」なのに、それをあからさまにするのもプライドが許さないので、「成功したけれど、少し疲れちゃってね」などと格好をつけている自分はいないでしょうか。そんな虚勢は、昔の友達なら簡単に見抜きます。そして、虚勢を張るUターン者を冷ややかな目で見るのです。
身の丈わきまえて、謙虚にスタートする勇気を持てない限り、Uターンは難しいと覚悟してください。
家業を継ぐ場合も溶け込むのは困難
実家に頻繁に帰って十分な準備を
家業を継ぐ場合は、計画的な場合もあるでしょう。しかし、計画的とは言えない事情で家業を継ぐことになる場合も少なくないようです。
いずれにしても、家業を継ぐ場合も決して簡単ではありません。継がせる親は嬉しくても、現場はそうとは限らない。現場にしてみれば滅多に顔を見せなかった経営者の(どら)息子、(バカ)娘がいきなり偉そうに帰ってくるとしか見えません。
大企業の経営者として輝かしい経歴を持った上で、それこそ凱旋してくるのなら、現場もその経営手腕に期待するでしょうが、良くて管理職経験がある程度では、その手腕を信頼しろという方が無謀です。
さすがに最近では、いきなり代表や取締役になるということは少ないようで、課長などから始めて仕事を覚えるケースが多いですが、それでもなかなか溶け込むのに苦労するようです。
古参社員やことによると次の経営者としてのライバルとなる現ナンバー2などとの関係構築が難しいのです。
そんな理由から、基本的に私はUターンには懐疑的です。Iターンのほうがむしろ清々しいと思うくらいです。もちろん、Iターンは、最初は紛れもなくよそ者であるわけだから、必死に溶け込む努力をしないといけませんが。
いずれにしても、注力すべきはやっぱり準備期間です。
家業を継ぐ場合も、いきなり帰るのではなく、そういう意図や計画があるのであれば、何度となく帰郷して、会社の環境に慣れ、働く人たちとの関係性を構築すべきです。酒を飲んだり、大いに語り合ったりしてください。
これもまた、インクリメンタル(複線化)・キャリアチェンジです。その結果、「○○さん、いずれ帰ってくるのでしょう?早く帰ってきてくださいよ」などと言われるようになる。それでもなおしばらくは「いやいや、皆さんがいれば安心だし、私なんかまだまだです。お任せしますよ」などと答える。あくまでも謙虚に下地を作っていくわけです。
Uターンの場合も、受け入れ側のサプライズは禁物なわけです。繰り返しますが、出る組織からも、入っていく組織からも、「やっぱりね」と言われたい。できれば「よかったね」と言われたい。期待されるのが一番いい。ごく自然に、“水は低きに流れる”のごとく、すーっと軸足を移せるに越したことはないのです。
こんな例がありました。その方は外資系の会社に勤めていたのですが、家業はある地方都市で和紙印刷をメインに展開している老舗の印刷会社でした。
その方は家業をいつか継ぐことを念頭に、大学院に入り、修士論文を書くために何度となく実家に足を運びました。論文テーマに家業のマネジメント改革を選んだからです。実家の会社に今どんな課題があって、自分ができることは何かを取材しながら考えたのです。あくまでも研究のためのヒヤリングという名目なので、角も立たずに、素直に溶け込めたそうです。
さらにその方は、大学院の別のゼミ生(東京の印刷会社の跡取り)と共同研究を始め、印刷業界における新たなビジネスも模索し始めました。まさにインクリメンタル・キャリアチェンジの見事な例だと思います。事業継承も新事業展開もまだ実現していませんが、いずれ来るかもしれない「その日」のための下準備は着々と進んでいるように見えます。
最終的に実家には帰らないかもしれない。しかし、準備だけはしっかりとする。
しっかりした準備の先に、別の展開が待っていても全く構わない。インクリメンタル・キャリアチェンジにはサプライズは禁物ですが、偶然まで否定する必要はありません。
やれることではなく
やりたいことをやるために動く
次に改めて考えたいのが、次の企業に勤め直す、いわゆる普通の転職にもインクリメンタル・キャリアチェンジの考えは通用するのかということです。
私は通用すると思っています。こんな例がありました。その方は一般的な普通の勤め人でしたが、とにかくイタリアが好きでした。漠然と、将来、イタリア関係の仕事がしたいと思っていました。趣味を仕事にしたかったのです。
だからといって、いきなりイタリア関連の仕事ができる会社に飛び込んでも売り込むものがありません。思い立った時点で、どんなコネも持ち合わせていませんでした。
そこで彼はどうしたか。彼のしたことは極めてまっとう、想像の範囲でした。まずイタリア語を勉強して、イタリアへの旅行を何回も繰り返しました。好きなのだから、これはまさに趣味の範疇です。しかし、普通の方の趣味と少し異なっていたのは、ただ観光するだけではなく、イタリアを舞台にどんな仕事が考えられるか、自分はイタリアの何に一番関心を持つのかを探したのです。
答えは「食」でした。ターゲットが決まってからは、イタリアの食について今度は必死に勉強し、それなりの知識を身につけ、自分の独自の考えを持って転職に臨み、見事、イタリアとの食の貿易を行うお目当ての会社への転職が叶いました。
1に準備、2にも準備なのです。
転職先は何も営利企業とは限らず、NPOやNGOの場合も、今後はますます増えていくと思います。
その場合も同じです。自分をブランディングし、その分野、その組織において、自分がどんな価値を提供できるのか。自分の「好き」と「大人CAN」を駆使して考え、それをプレゼンすることが大切です。
まず何をしたいのか目的や領域を明確化し、まずはボランティア活動に専念して、現場組織に入り込み、先ほどの印刷会社の例のように、何が課題なのか、自分であれば何を提案できるのか、自分の経験から何を転用できるのかを考えます。その組織で必要とされるであろう自身の力をしっかりと認識し、そこを強みとして磨いていくのです。
このように戦略的に転職活動を組み立てれば、採用される可能性も高まるでしょうし、それ以上に大切なこととして、移った後で実際に活躍できて、その組織の価値を高めることができるはずです。
多くの人は、今やっている仕事、これまでのキャリアの延長線上で転職を考えます。そうした現状延長型のキャリアではなく、本当にやりたい仕事に向けて、今の仕事を続けながら、新たな技術や知識を身につけ、人脈を形成し、自己ブランドを形成する。そして、望む次のステップに見合うように、時間をかけて自分を変えていく。それが、インクリメンタル・キャリアチェンジ=複線化キャリアチェンジの本質です。
あなたも生まれた時から今の仕事をしていたわけではないでしょう。時間をかけて、今の自分が出来上がったのだと思います。だとすれば、別の自分を作り直すことは不可能ではないはずです。
第二の人生は「月20万」稼げれば十分
“身の丈アクティブ”が大きな幸せに
こんな方もいました。長野県南部の伊那谷で、焼き立てのパンを出す喫茶店をオープンした人です。その人は、東京で会社を経営していましたが、第二の人生を始める場所を求めて、時間を掛けて、さまざまな場所を旅して回りました。
しかも彼はこだわりました。パンを自ら焼く人はいますが、彼の場合は、そのパンを焼く窯を自ら作ってしまったのです。そのために、職業訓練学校に通い、溶接を学びました。遠回りのようですが、好きだからできることであり、好きであれば、このこだわりは幸せにつながるのだと思います。
第二の人生と人は言いますが、それを余生と考えるのではなく、あくまでもアクティブな次の生き方と捉える人が増えていると思います。だからこそ、時間を掛け、労力を惜しまず、楽しみとして仕事を複線で進めるのです。
そうやっていけば、プランド・ハップン・スタンスで、予想していなかった嬉しい出会いや展開も生まれ、また違ったところに複線が伸びていくかもしれません。ムカデ型とでもいいましょうか、どんどんと複線が枝分かれしていき、自分の可能性を広げていくこともあるでしょう。そうなれば、本当に充実した人生になるのではないでしょうか。
こうしたインクリメンタル・キャリアチェンジのポイントは、その時その時で身の丈を超えないようにすることです。決して無理はしない。一足飛びには行かない。努力して一歩一歩進んだ結果、気がついたらかつては見知らぬ場所、思ってもいなかった場所にまで辿り着いている、そんなキャリアの形成の仕方です。
また、家業を継ぐ場合は別にして、新しいことにチャレンジする場合は、仕事のスケールや肩書などの“見た目”や体裁にこだわらないのもコツです。好きなこと、やりたいことを追求し、しっかりと準備をする。次の人生をおもしろおかしく生き、世の中のためになっているという満足感を得られるように、時間を掛けて進んでいくのがいいと思います。
そんなふうに、50代からの人生をおもしろくするためには、40代の今から準備をしたほうがいい。趣味は趣味、仕事は仕事と杓子定規に分けるのではなく、趣味を仕事にする、そんな色気を出して頑張るのがいいと思います。
たとえば「オタク」と呼ばれる人たちがいます。その分野はさまざまでしょうが、たとえば「鉄道オタク」。好きだから鉄道を追いかける。鉄道にかけるエネルギーも結果得られる知識も半端ではありません。しかし大多数は、鉄道を商売のネタにしようとは思っていません。
でも、「それってもったいなくないか?」と思ってしまいます。いきなりお金儲けやビジネスを考える必要はないのですが、ブログやホームページを開設して、発信をしていく。オフ会を主宰する。得意領域で外に出て行くことによって、また違う人生が始まるのではないでしょうか。
「70歳を超えれば、さすがにばりばりと第一線で働いてはいないだろう。第一線を退いてからの年金替わり、定年のないお小遣い稼ぎ。そんなビジネスを、好きなことで仕立てていければいい」、このように考えてみたらいかがでしょうか
そこなのです。何事も身の丈で考える。年間1億の売上を上げる必要はない。70歳を超えて、年間1000万円もの給与を得なくてもいい。好きなことをしていて月20万円稼げれば、老後はそれだけでハッピーなものになるはずです。
月20万円の収入というのは、コンビニで週5日、しっかり働いたときにもらえる金額です。つまり、決して無理な金額ではない。その額を、好きなことをしながら身体が続く限り稼ぐ。それが身の丈ビジネスの基本です。
ちなみに年金の月額収入は平均的なサラリーマンで23万円ほどです。年金に相当する額を趣味の世界で稼ぐと考えると、この身の丈ビジネス、逆に随分立派に見えるのではないでしょうか。
準備さえしておけば、決して難しい話ではないはずです。どこも雇ってくれない、そんな年齢になっても、自分主体で稼ぐことがきできる。その素地をこれから作っていく。
薄くていいから稼ぎ続けられる力を磨いていく。そうした力は、これからますます必要になります。その力は、生活をしていく上で必要なだけでなく、人生を楽しくするためのものなのです。そのためにこれから10年間、何かに賭けてみませんか?