総合「ブラック企業」がここまで蔓延する根本原因 実は日本型雇用システムの成れの果て
「365日24時間死ぬまで働け」――。大手飲食チェーン、ワタミグループの理念集に記載されていたこの言葉は、「ブラック企業」を象徴するものとして、あまりにも有名だ。同社は後に撤回したが、文字だけ見ればまるで働く人を奴隷とするような表現といえる。まさに、コンプライアンス意識が欠如した経営者が若者を搾取する構図であり、現在の「格差」の象徴のように思うかもしれない。
しかし、実はそうではない。「ブラック企業」というモンスターがエサにしているのは、日本人の「平等」意識だ。「ブラック」「格差」という単語は、「平等」の対極に感じるだろうが、実は密接に絡んでいるのだ。いったいどういうことか。
個別企業の問題を指摘するだけでは解決しない
「ブラック企業」という言葉は、2000年代後半に、IT企業で働く若者たちの間で、自分の会社の過酷な労働状況を自虐する形で用いられた、ネット・スラングだった。現在でも明確な定義はなく、イメージだけが独り歩きしている傾向がある。長時間労働や過酷なノルマ、パワーハラスメントなどが横行し、違法労働が蔓延している企業を指すことが多く、傾向としては、外食や小売り、介護、ITなど、労働集約型のサービス業に多く見られる。
春に向けて就職活動の準備も本格化する中で、自分が関心を持つ会社が、いわゆる「ブラック企業」なのかどうかは、大学生にとっても大きな関心事だろう。メディアも、個別の企業の問題については大きく報道する傾向がある。しかし、大阪経済大学の伊藤大一准教授は、「ブラック企業の出現は、日本型雇用システムのもつ『影』の部分を最も『黒く』染め上げた問題。個別企業の労働条件の過酷さを告発し、批判するのみでは、解消することが難しい」と語る。
前提として、日本の雇用システムは世界の中でも非常に特殊な形であることを、まず認識する必要がある。日本では、入社前には職務の内容や勤務地などが本人には知らされなかったり、入社後もいつ別の職務を命じられるか分からないということが少なくない。また、法定勤務時間内、いわゆる「9時~5時」で必ず帰れるなどということはあり得ず、残業が必要と言われれば受け入れることが当然視されている。全て、労働者は会社の命令に従うことが「常識」だ。
一方、欧米の一般的な雇用契約は、そうではない。「保険商品の販売業務」「繊維加工機械の操作」といった具体的な職務(ジョブ)が先に存在し、求められるスキルや、職責が特定されている。職務の具体的中身や評価方法も一定になる傾向があるため、業務内容が無限定とはならない(成果で評価されるホワイトカラー層はこの限りではない)。自分の仕事の範囲を越えて他人の仕事を行うことは、職域を侵すことになるので御法度だ。
日本でも、いわゆる非正規雇用の場合は、このジョブ型の考え方が当てはまる。決められた時間で決められた職務をこなす、工場労働や派遣業務をイメージすると分かりやすい。これに対して、正規雇用(いわゆる正社員)の場合はそうではない。意外に思うかもしれないが、正社員(一般職は除く)として入社した人は、少数精鋭として採用された経営幹部候補という建前になっており、職務の対象は原則として無限定だ。
会社の労働者に対する命令は、ほとんど制限なし
職務が無限定ということは、欧米の一般的な雇用形態と異なり、自分の仕事と他人の仕事の区別がなく、どのような業務もこなすということを意味する。自分の仕事が早く終わった場合は率先して他の人の仕事を手伝ったり、本来自分がやる業務以外のことも、上司から頼まれれば取り組むなどといったことは、働いたことがある人なら誰しも経験があるだろう。
また、職務内容だけでなく、労働時間に対しても、会社には強い権限が与えられている。労使協定さえ結べば残業時間の上限はほぼない。労働者が残業を断れば、解雇も有効になることを判例も認めている。少数精鋭で採用されている以上、業務が増えた場合はその人員の範囲中で対応することが前提になっているのだ。
結果として、「どのような仕事を」「どのくらい」命じられるのか、ほとんど制限がないというのが日本の企業で働くことの特徴となった。労働者は、配置転換による新規業務に対して素早く適応する能力と、プライベートを犠牲にしてでも会社に尽くす生活態度までもが求められることになり、その全てが会社からの評価対象となる。こうした仕組みは、異常なまでの長時間労働や、その結果としてのうつ病や過労死を生み出し、既に1970年代頃から日本型雇用システムの「影」として、問題視されていたものだ。
ただ、少数精鋭かつ職務が特定されていないということは、労働者側に対しても有利に働く面もある。これが、ブラック企業が消し去ってしまった日本型雇用システムの「光」の部分である。
少数精鋭で、かつ会社が自由に労働者の職務を決めることができるため、現在従事している職務がなくなったとしても、社内の別の仕事に配置転換することで、労働者の長期安定雇用を成り立たせることができる。また、長期安定雇用があるからこそ、勤続年数、つまり年功に応じた賃金の上昇も実現でき、先を見通した人生設計が可能になっていた。
つまり、残業や配置転換などについては、会社からの強い拘束を甘受するが、その対価はきちんと存在し、バランスが取れていた。業種や会社の規模によって濃淡はあるが、具体的には、持続可能な業務と安定した雇用、家族を養うだけの生活を維持することが可能な報酬が、労働者への見返りとして認識されていたといえるだろう。司法も、企業の強力な業務命令権を認める一方、判例で解雇権濫用法理を確立することで、正社員の地位を保護してきた(現在は条文化されている)。
高度経済成長期を背景として、こうした不文律ともいえるようなルールが確立していく中で、社会は次のような考えを抱くようになった。企業は、一度正社員として雇った以上、その人の面倒をきちんと見て能力開発を行い、長期安定雇用を前提として、家族を持つ「普通の」生活は保証してくれる。その代わり、働く側は「社会人として生きていくことは甘くない」ということを受け入れ、プライベートを犠牲にしても仕事に粉骨砕身することは、大人として当然である、と。
しかし、ブラック企業は、この日本型雇用システムに対する社会の信頼を逆手に取っている。伝統的な日本型雇用システムを運用する企業からブラック企業が引き継いだのは、「従業員の組織への貢献は無限定」という意識だけ。彼らは、日本型雇用システムの最大のメリットである「広範な指揮命令権」のみを享受する。一方で、見返りとして本来あったはずの長期安定雇用と、労働時間に見合った報酬については、「経営者目線がなければ、労働者も生き残れない」「仕事の報酬は、お客様の笑顔だ」といったもっともらしい理由をつけ、まるで存在しないかのようにふるまう。
安定雇用なき、長時間労働・低賃金を目指す
彼らは労働者全員を長期安定雇用をするつもりなど最初からない。それにもかかわらず、長時間の時間拘束は大前提。その上で、10万円台前半まで基本給を下げた上で数十時間分の固定残業代制度を導入したり、少額の手当を出すことによって、表面上は「普通の額」の給与であることを偽装する。さらに労務管理を意図的に放置して正確な勤務時間を不明にしたりすることもザラだ。こうした脱法とも言えるテクニックを駆使して、実質的な時給を最低賃金を下回る水準にまで吹き飛ばしている。

労働問題を扱うNPO法人、POSSE代表の今野晴貴氏は「労働集約型サービス業は現実にはジョブ型に近く、職務自体は限定的だ。正社員だからといって、全員が経営幹部候補になることはあり得ない。それにもかかわらず、職務の遂行方法、業務量、成果の評価方法については無限定のまま」と指摘する。これでは、完全にご都合主義のいいとこ取りとなってしまう。こうして、日本型雇用システムの「影」だけが残ることになり、言葉通りの「真っ黒な」ブラック企業が完成するのだ。
こうしたブラック企業を根底から撲滅するには、どのような処方箋があるのだろうか。今野氏は意外にも、日本に「階層」があることを明確にすることを提案する。「ワークライフバランスを重視し、使い潰されることのない『普通の人』の働き方と、自分の能力を最大限生かして大きなリターンを目指す『エリート・経営者』の働き方が、異なることを明らかすべき」というのだ。
「日本社会にも現実には『階層』が存在するが、覆い隠されてしまっているのが実情。これでは、立場に応じた政治的な利害調整が機能せず、真の民主主義は実現できない。『階層』の存在を真正面から認め、それぞれの立場の利害を積極的に調整することが、結果として格差を縮小することにもつながる」(今野氏)
正直、日本で「階層」の存在を認めることは、これまでタブーだったといえる。平等意識が殊更に強い日本では、すぐに受け入れられるものではないかもしれないし、反発を覚える人もいるだろう。しかし、ブラック企業はそうした「誰もが努力すれば人並み以上の生活が送れる」という幻想を利用して、労働者を追いつめていることは確かだ。伊藤准教授も、次のように語る。
「『休日はゆっくり休みたい』『残業代が欲しい』といったことは、労働者にとってあまりにも当然の要求のはず。これが経営者にとって『甘え』として認識されるのは、使用者と労働者の垣根が曖昧になっており、本来保護されるべき『労働者』概念が弱体化しているからだ」
使用者の指揮命令に基づいて時間を売る労働者と、会社の所有権である株式を所有し、報酬以外にも株式配当での莫大なリターンを取る可能性があるオーナー経営者とでは、根本的に立場が違う。こうした利害の違いを明らかにし、対立軸を明確にすることは、本来あるべき姿のはずだ。経営者はこのことを自覚して労働者を保護するべきだし、労働者も同じ立場で連帯して、自分たちの権利をはっきり主張するべきなのである。
「階層」の無自覚は、自己責任論を蔓延させる
現実に存在する「階層」を自覚しない考え方は、深く日本人の無意識に沈み込んでいる。「一億総中流」という言葉に代表されるような平等意識は、表面的には耳障りがよいため、ウケもよい。しかし、これには罠もある。あらゆる立場の人に対して過度の「自己責任論」を押しつけることにつながり、結局多くの人の首を絞める結果を招いているのではないだろうか。
「ブラック企業に文句を言ってる暇があるなら、辞めて自分で起業すればいい」といった発言が、社会的・経済的に成功している著名人から散見されるのが、いい例だ。誰しもがビジネスを成功させる能力を持っているわけではないし、現実にリスクを取ることができない人もいる。労働によってしか生計を立てられない人の方が、世の中では圧倒的多数だ。
日本における「階層」に対する無自覚は、エリートとして本来ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige「高貴なる者の義務」)を持つべき人間が、「普通の人」の立場を想像する力を持てない要因になっているような気がしてならない。それはまさに、労働者を駒としか考えずに使い潰す、ブラック企業のオーナーや経営者にも、そのまま当てはまることだ。
今野氏の指摘通り、「階層」の存在を認めることは、格差を許容することとイコールではなく、むしろ是正する力となり得る。能力のある人の足を引っ張らずに最大限支援する一方で、標準的な幸せを望む「普通の人たち」の労働環境は、社会としてきちんと保護する。そうした意識変化を起こすことが、ブラック企業の不条理な暴走を止める足がかりとなり、ひいては「日本社会全体のブラック化」を止める道を開くのではないだろうか。