総合ミドル、シニアのための「転職・再就職」ガイド【1】
これまでの経験を活かして、働き続けることはできるか──。キャリアを変えた人の経験談から、雇用市場の実態が見えてきた。
ニーズがあるなら70歳まで続けたい
週1回の勤務で月額20万円、60歳以上も歓迎──。こうした働き方をする新しい形の「企業顧問」が、いま増えつつある。
富井 元●1970年東海銀行入行、2003年UFJ銀行常務退任、UFJ総合研究所専務へ。10年三菱UFJリサーチ&コンサルティング専務退任。12年顧問紹介に登録。
メガバンクでのアジア駐在経験を買われて人材紹介大手インテリジェンスの顧問(アドバイザリー)を務める富井元さん(66歳)もその1人だ。現在は、主に中国での拠点に対して、人材紹介業務の支援を行っている。富井さんは「中国ビジネスの方法論を伝えるのが私の役目ですね」と話す。
「33年間の銀行員時代に中国、台湾、シンガポールなど4カ国に15年間駐在し、主に日本の製造業とおつきあいしてきました。その経験とネットワークを生かし、顧客である日系企業のトップと当社の中国拠点のトップを引き合わせてビジネスを仲介するのが私の仕事です。顔見知りの経営幹部にアポを取るなど、私の人脈が直接役立つこともあります。自分のキャリアを活かした仕事ができるので、とてもやりがいがありますね」
富井さんはUFJ銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の元常務という実力者だ。57歳のときに銀行から子会社の三菱UFJリサーチ&コンサルティングに移り、2010年に63歳で退任。その後、個人事務所の設立などを経て、2012年5月にインテリジェンスの顧問紹介サービス「i-common(アイコモン)」に登録。2012年7月からいまの仕事をはじめた。
サービスの特徴は顧問を短期で起用できる点だ。経験豊富なベテランに相談したいというニーズはある。ただビジネスの先輩を自社に呼ぶには、コストやしがらみが心配だ──。こうした問題を解決するため、人材紹介会社が仲介をする。
アイコモンには大企業の役員・部長の経験者約2000人が登録しており、約半数が顧問として派遣されている。契約期間は1~2年間。週1回から顧問派遣を依頼することができる。支払額は登録者のキャリアに応じて異なる。費用は月額25万円から。主な顧客は中小企業だ。経営資源の限られた中小企業にとって、大企業のノウハウを時間単位で導入できるメリットは大きいだろう。大先輩だからといって、過剰な気遣いは無用だ。
一方、派遣される側の報酬は、週1回で月額約15万~20万円が基本的な金額になる。おおよそ1日で5万円だ。キャリアによっては1日10万円の報酬を得る人もいるという。
富井さんは現在、週4~5日ほど顧問の仕事をしている。2012年12月からは、インテリジェンスのほかに、新しくIT関連企業の顧問も引き受けた。忙しいが、それでも夜の9時か10時には就寝。平日の夜や休日はテニスやジョギングで体を鍛えている。「家内には『家にはいるな』と言われています(笑)。現役時代にたとえれば、課長ぐらいの密度の濃い働き方をしていると思いますよ」という。
「週3日ぐらいは社内での会議や打ち合わせ、残りは国内や海外への出張です。10日間の海外出張をしたこともあります。出社時間は決まっていませんが、午前10時から正午までのコアタイムには社内にいることが求められています。仕事は密度が濃くて、くたびれます。でも結果を出す仕事というのはやはりおもしろいですよ。私へのニーズがあるなら、70歳ぐらいまでは続けたいと思います」
「もう誰かの下で、働くことはない」
柿内暢介●1993年マツダ入社、97年公認会計士試験合格、あずさ監査法人に入社。ユナイテッド・パートナーズ会計事務所を経て、ネクト会計事務所を共同で設立。
キャリアチェンジのために資格取得を目指す人は多い。だが、いまは資格だけで食える時代ではない。資格を取ってから、いかに専門性を高めるかが重要になる。柿内暢介さん(42歳)は、公認会計士となってから、M&A(企業合併・買収)の分野でキャリアを積み上げてきた1人だ。
大学の理工学部卒業後、自動車メーカーに就職した柿内さんが、公認会計士を目指す決意をしたのは入社2年目のこと。病気のため半年間の長期入院をしたのがきっかけだった。
「将来についていろいろと考えるきっかけになりました。有給休暇を消化すれば、休職扱いで給与は出ない。会社は意外に冷たいと感じました。それにまた同じことを繰り返したらどうなるのかという不安もありました。私が出した結論は『手に職をつけよう』。そこで公認会計士を目指したんです」
会計についての知識はまったくなかった。だが、退院と同時に退職し、専門学校に通いながら猛勉強に取り組んだ。1度目の試験は不合格だったが、2度目で見事合格。27歳で大手監査法人に就職し、キャリアチェンジを果たした。
監査法人での仕事は激務だ。残業代を含めれば勤続数年で1000万円近い年収が手に入るが、定年まで勤め続ける人は少ない。柿内さんの場合、入社時には十数人の同期がいたが、現在も勤務しているのは1人だけだという。
柿内さんも、早くから独立志向を抱いていたこともあり、6年間の勤務後、従業員10人程度のITベンチャー企業に飛び込んだ。
「監査業務よりM&AやIPO(新規株式公開)の業務に惹かれました。当時は同期や先輩がIT企業のCFOとして転職するケースが多かった。まだ設立2~3年目の会社でしたが、これから伸びる可能性もあるし、おもしろいと思って転職しました」
もちろん小規模な会社ではCFO業務をするだけではない。肩書こそ管理部長だったが、人事、総務、経理、営業まで、あらゆる仕事をした。転職先の年収は約800万円。年収は下がったが、柿内さんには「経営の実務を知る」という目的があった。
1年ほど勤務し、04年にはM&A業務をメーンとする会計事務所に移る。ここでM&Aという専門を極めた。
「ファンドバブルの時代で案件が次々と持ち込まれました。税務や海外投資など専門知識を持った人たちとプロジェクトをつくり、M&Aのスキームを考えるのです。事業価値の評価には複雑な数式を用いることがあります。私は数学と会計の両方に強みがあるので、期待に応えることができました」
ここでは流通大手ダイエーの事業買収など数十件のM&A案件を手がけた。仕事は多忙を極めたが、収入は監査法人時代の倍近くまで増えた。こうした実績を引っさげて08年に友人と共同で現在の事務所を立ち上げた。
設立当初はリーマンショックの余波で苦しい時期もあったが、いまでは収入も安定し、自分のリズムで働くこともできるようになった。柿内さんは「もう誰かの下で働くことは考えられませんね」と話す。
なお監査法人での柿内さんの同期十数人のうち、現在までに独立しているのが約半数。残り半数は「組織内会計士」として事業法人に勤務しているという。