言う通りにやるんやったら、きみは要らんよ

総合言う通りにやるんやったら、きみは要らんよ

昭和の大経営者である松下幸之助。彼の言葉は時代を超えた普遍性と説得力を持っている。しかし今の20~40代の新世代リーダーにとって、「経営の神様」は遠い存在になっているのではないだろうか。松下幸之助が、23年にわたって側近として仕えた江口克彦氏に口伝したリーダーシップの奥義と、そのストーリーを味わって欲しい。(編集部)

昭和51(1976)年4月24日、松下幸之助から、PHP総合研究所の経営を担当するように指示されてから、2カ月ほど、私は、ひたすら松下に経営状況を報告し、一つ一つ指示をもらい、その指示をその通り、社員に話し、社員に松下の指示通りの結果を出すように告げていた。なにせ、それまで経営などしたことがなかったから、松下の指示を仰ぐ以外になかった。

その時のPHP総合研究所の経営状況は、売り上げが9億円、赤字、社員数は85名前後だったと記憶している。創設は昭和21年11月3日だから、ほぼ半年後には30周年を迎える。

「PHPは、もう30年や。しかし、この30年、相当の成果があったと言えば言えるけど、しかし、これだけ長くやっておっても、もうひとつ満足できん。月刊誌『PHP』も100万部というけど、まあ、松下電器が買うて、配ってくれてるものもあるにもかかわらず、それ以上にはならんわね。本もわしの本だけや。多くの人が評価してくれている、PHP活動に賛同してくれているというけど、本当かということや。松下さんが、やっているから、まあ、評価しとこうというところやろう、実際はね。多くの人が心から評価してくれているんやったら、経営的にも結果が出てくるはずや。それが出てきてないわな。売り上げは、依然、伸びん。赤字ばかりや。創設以来、ずっと赤字や」

雑誌の売り上げを伸ばすことに専念

そういう話を聞くたびに、なんとか『PHP』誌を100万部から150万部に伸ばさないといけないと、心は焦るばかりであった。当然、松下への報告は、『PHP』誌の毎月の部数変化が主であった。『PHP』誌の売り上げを伸ばすこと。私の心は、その一点に集中していた。経営=『PHP』誌の発行部数拡大と売り上げを伸ばし、赤字を少しでも減らすことに腐心した。もちろん、1~2カ月で、思い通りの成果が挙がることもなく、毎週、忸怩たる思いで報告を繰り返していた。

6月の終わりごろ、私の報告をじっと聞いていた松下が「まあ、そういう結果なら、しゃあないな。君たちが一生懸命やった結果や。そうそう簡単にはよくならんわ。まあ、このPHPをはじめて30年間、ずっと赤字や。一度も黒字になったことがないんやから。心配せんでいい」と言ってくれたときは、正直、少しの安堵と、これからも松下さんの指示を忠実に、社員全員で取り組んでいこうと思った。

しかし、「すいません」と言いながら、松下幸之助の顔を見ると、厳しい形相をしている。仰天して、安堵から恐怖に暗転した。

厳しい口調で「きみは要らんよ」

身を固くしていると、松下は一言、厳しい口調で、こう言った。

「きみ、わしの言う通りにやるんやったら、きみは要らんよ」

このひとことに、私は、戦慄を覚えつつ、そうか、そういうことか。松下さんの言う通りではなく、松下さんの言うこと以上のことをしなければならないんだ、成果を上げなければいけないんだ、と理解した。

それから、私は、松下の指示通り、『PHP』誌の販売部数拡大策を継続しつつ、それだけではなく、書籍中心の出版に踏み切り、結果、とりあえず、その年度末の9月に5000万円の利益を上げた。

その後、私は、松下の指示の通りではなく、松下の指示の本質は何か、なにが基調なのか、松下幸之助の言葉より、その言葉の奥の指示を読み取り、松下の言う本質を根底にしつつ、松下の言葉による指示以上の成果をあげる工夫をした。雑誌の多種化も友の会活動も、研修活動もシンクタンク活動も、松下の指示の本質を、私なりに読み取り、松下に進言、始めたものである。

結果、経営者として34年間を過ごし、退任の2009年までに売り上げを230億円、内部留保も80億円に仕上げることが出来た。赤字は、この間、一度も出すことはなかった。社員数は、320名。

いまでも、松下幸之助の「きみ、わしの言う通りにやるんやったら、きみは、いらんよ」という声を鮮明に思い起こすことが出来る。