働きながらステージ4の胆管がんを治療している「エン・ジャパン」の西口洋平さん

総合働きながらステージ4の胆管がんを治療している「エン・ジャパン」の西口洋平さん

子どもを持つがん患者同士が、ウェブサイトを通じて交流できるコミュニティーサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を主宰している西口洋平さん。現在、サイトオープンから1年半で1,300人以上が登録しています。

自らを「仕事人間だった」と評する西口さんは、2015年2月、35歳のときに最も進行したステージ4の胆管がんと診断されました。今も、治療を続けながら人材サービス会社「エン・ジャパン」で働いています。突然訪れた「がん」という現実に悩み苦しみながら、仕事や家族と向き合い、前を向いて「生きていく」姿を赤裸々に語ってくれました(前後編インタビュー。#2に続きます)。

西口洋平さん

「気兼ねなく子どもの話ができるがん患者の場」が、絶対に必要だと思っていました

──「キャンサーペアレンツ」は2016年4月のサイト立ち上げからわずか1年半で、登録数が1,300人を超えました。どんな風に感じていますか。

西口 あっという間にたくさんの人が集まったことに驚いています。「僕だけじゃなかった」と思いましたね。僕はがんの告知を受けた時、周囲に同世代の仲間がいなくて、すべて一人で抱えてきたのですが「同じ思いを抱えていた人が多かったんだな」と勇気づけられました。

──「子どもを持つがん患者」であれば、誰でも無料で登録できるんでしょうか。

西口 はい、できます。こういう集まりって、実はありそうでなかったんですよ。患者会はたくさんあるんですが、「行ってみたら高齢の方ばかりだった」「同世代のがん患者と会話がしたかった」という人が多くて。あとは、「子どもの話がいろいろできて嬉しい」と登録する人もいます。

 

──治療の影響で、子どもができないがん患者もいます。

西口 そういう方の前では、やはり子どもの話はしにくいですよね。僕の時はそもそも情報がまったくなかったので、いろんな悩みを一人で抱えてきたのですが、「子どもとどう接したらいい?」「万一の時は子どもに何を残せる?」「子どものために一日でも長く生きて働くためには、仕事をどうしよう」というように、悩みがすべて子ども起点だったんです。だから「気兼ねなく子どもの話ができるがん患者の場」が、絶対に必要だと思っていました。

──同じ病気を持つ子育て世代同士が話し合う場がある、というのは励みになりますね。

西口 病気の治療のことは主治医に聞けばいいんですが、それ以外のことは、誰に何を聞いたらいいのかも分からないんですよ。仕事の話や、家族とのつきあい方、友人関係はもちろん、「出かける時はどうすればいいか」「普段の食事は?」など、日常生活で生じる身近な疑問を、僕自身が聞きたかったし、気軽に話し合える相手がほしかった。

でもそういう集まりを作るためには、誰かが「ここに子どもを持つがん患者がいて困っています」と手を挙げないと始まらないので、「じゃあ僕がやろう」というのが、「キャンサーペアレンツ」を立ち上げたきっかけです。

「正社員から週2~4日のシフト勤務に、営業職から人事(内勤)に変えました」

──西口さんは、仕事と治療と「キャンサーペアレンツ」、3つの活動を並行していますよね。どのようにバランスを取っていますか?

西口 「キャンサーペアレンツ」の活動をするために、「エン・ジャパン」での仕事を正社員から週2~4日のシフト勤務に、業務内容を営業職から人事(内勤)に変えました。週1回は治療のために通院しているので、それ以外の日を「キャンサーペアレンツ」の活動に充てています。今は体調が落ち着いているのですが、体調の悪い時や入院した時はシフトを変えるなど、柔軟な対応をしてもらえるのでありがたいですね。

 

──がんと診断される前は、グループ会社の新チーム立ち上げを任されるなど、多忙な毎日だったとお聞きしました。

西口 大学を卒業して「エン・ジャパン」に入社したのですが、がんと診断された当時は、営業職としてグループ会社での新チーム立ち上げにゼロから関わっていました。4年目でようやく軌道に乗り始めた2014年の夏くらいから下痢や倦怠感が続き、半年間で5キロも体重が減ってしまったんです。

とにかく忙しい毎日だったので、「ストレスかな」とその時は思っていました。毎年受ける健康診断でも「異常なし」でしたから。でも、ずっと体調の悪い状態が続いていたので、消化器系の病気を疑って。2015年の1月に内視鏡検査を受けました。それでも何も見つからず、その後の検査入院で胆管がんのステージ4と診断されました。

 

──がんと診断された時のお気持ちは。

西口 最初に告知された時は、まさか自分が「がん」になるとは思っていなかったので、呆然としました。それから漠然と「怖い」という気持ちです。すぐに手術が必要と言われ、2週間後に手術を受けることになったのですが、開腹してみたら「手術はできない」と。この時はすでに、がんについてもいろいろ勉強していましたから、「ああ、手術もできないくらい悪いんだ」と、さらにショックを受けました。

──それでも、仕事に復帰しようと思ったのは、なぜですか。

西口 当然「死」は考えました。でも、実はこの時体調がよくなって元気になっていたんですよ。手術はできないものの、胆管にステントを留置し、十二指腸への胆汁の排出を確保してもらったので、ずっと続いていた下痢が治まって倦怠感もなくなったんです。体力的に弱っていたらネガティブになっていたのかもしれませんが、元気になったし「家に帰ってもすることないよな……」と。それに、ずっと仕事しかしてこなかったので「仕事を辞める」という選択肢が考えられなかった、というのもあります。

「会社で最初に相談したのは、直属の上司ではなく、人事部長です」

──でも実際に職場復帰となると、いろいろ大変だったのでは?

西口 検査入院の時は、自分もまさかがんだとは思っていないので、会社にも「ちょっと休みます」と伝えていました。がんの告知を受けてもまだ心の整理はできなかったのですが、治療は続いていくので、どうしても言わざるを得なくなり……。手術後体調が落ち着いてから、少しずつ会社や上司、近しい友人たちに打ち明けていきました。

会社で最初に相談したのは、直属の上司ではなく、人事部長です。残業制限や週1回の治療のせいで、営業成績をあげられない葛藤もありのままに話し、上司にどう伝えたらいいかなども相談に乗ってもらいました。

 

──仕事と治療との両立で、一番大事だと感じたことは何でしょうか。

西口 僕はすごく「結果オーライ」みたいな感じで進めたので、ラッキーだった部分もありますが、「もし副作用が強く出たら休ませてほしい」という相談などを受け入れてもらえたのは、それまでに積み重ねてきた会社との信頼関係が大きかったと思います。これはがんだけに限ったことではなくて、介護休職や産休・育休にしても、それまでの働き方の中で職場や周囲の人たちと信頼関係が築けているかどうかが大切なんじゃないか、と感じました。

「シビアな現実を突きつけられて『人生最後の仕事』を考えました」

──営業職から人事に変わったのは、どうしてですか?

西口 復帰して1年間は営業職のままだったんですが、2016年の春に、それまで2種類使っていた抗がん剤のひとつにアレルギー反応が出て使えなくなったんです。それを機にセカンドオピニオンを受けに行ったのですが、「手術できない」という状況は変わらなかった。元気なつもりだったけど「明日死ぬかもしれない」というシビアな現実を突きつけられて「人生最後の仕事」を考えました。

そうしたら、2016年4月に立ち上げた「キャンサーペアレンツ」の活動をもっとやりたいと思ったし、それまでお世話になってきた会社のためにもっと恩返しもしたいと思った。そんなさまざまな思いを全て社長に伝えたら、「それなら、本社に戻って人事をやってくれないか。シフト勤務に変えて、空いた時間で活動もやったらいい」と応援してくれたんです。

――そういう経緯があったんですね。

西口 ありがたかったですね。同時に、「情報がほしい」と思っている子どもを持つがん患者すべてが「結果オーライ」や「結果だめだった」ではなく、情報を得て納得した上で判断していけるよう、本格的に活動を進めていこうと決意しました。

 

(#2に続きます)