総合24時間戦う「モーレツ社員」は日本人だけではなかった!
筆者のように外資系企業に勤務して、さまざまな国のビジネスマンから構成されるグローバルプロジェクトに参加してみると、自分が先入観で持っていた各国の国民性というものをいい意味で裏切る人柄を持つ人物と触れ合う機会がある。今回はそうしたエピソードをいくつかご紹介したい。(アクセンチュア マネジング・ディレクター 中野豊明)
大昔のアメリカのドラマや風刺漫画に登場する日本人といえば、眼鏡をかけて首からカメラをぶら下げ、切れ長の一重瞼で前歯が出ている。本当に昔、日本人はアメリカ人からそんな風に思われていたのか、実際のところ私自身は分からない。もしかしたら日本人が作り上げた「アメリカ人から見た日本人」のイメージなのでは、と思うほどだ。
一方、日本人が持つアメリカやイギリスなど各国の人柄に関するイメージもどうしてもステレオタイプになりがちだ。当たり前の話だが、アメリカ人の全てがトランプ大統領のような人物であるはずがないし、イギリス人がみんなハリー・ポッターではない。
業務命令に忠実で
モーレツ社員のアメリカ人
日本でのプロジェクトだが、ほとんどの上司がアメリカやイギリスなど世界各国から集まってきたプロジェクトに私が参画した時の話である。
この中のアメリカ人の2人はアメリカの組織でも上下関係にあり、上司の方はこのプロジェクト全体のリーダーでもあった。部下は、私の目から見れば、いわゆる「陽気なアメリカ人」だったが、彼はアメリカ人の上司に限らず、自分より上のクラスの人からの指示に対して絶対に「ノー」とは言わず、忠実に指示に従って実行していた。
想像がつくと思うが、世界各地から上司となるメンバーが集まっているプロジェクトでは、方向性が定まらないことが度々ある。
彼はそのような状況でも、上司たち、とりわけアメリカ人の上司の指示には必ず従い、一見、矛盾するような指示であっても一つひとつケリを付けてプロジェクトを推進していく。
納期や目標数値など「さすがにそれは無理なのでは…」と思うようなことに対してでも、あれこれと工夫を凝らしながら実現していくパワーには驚くばかりだったし、なにより、たとえ上司に対してでも「言いたいことは素直に言おう」というグローバルでの社風がある中で、「業務命令には絶対に従う」という彼の態度には本当に驚いた。
われわれ日本人が想像するアメリカ人というのは自我が強く、「自分が納得しないと絶対に従わない」というイメージだが、彼は明らかに違っていた。職務に忠実なあまり、外国人から「まるで奴隷のようだ」と揶揄された私の父の時代の頃の“日本のサラリーマン”を彷彿させるものだった。
上司の方のアメリカ人も非常に印象深い人であった。その日本のプロジェクトの他にも彼はアメリカやヨーロッパで重要なプロジェクトを複数掛け持ちしており、そうした各国のプロジェクトの重要事項には日本から電話会議やメールなどで対応していたのだが、時差があるので「昼夜を問わず」ということになる。
彼はいつも「深夜2時までヨーロッパと電話会議をして、朝4時から6時までアメリカと会議だった」などと言いながら、朝8時からの日本の会議に出席していたものだ。さらに日中には「日本の勤務時間帯はどこからも邪魔されないから作業がよく進む」と涼しい顔をして言っていた。
かつての日本の商社マンや金融マンのように、24時間戦い続ける「モーレツ社員」そのものである。
彼の姿も日本人が抱きがちな「自分や家族のプライベート時間を大切にして、オン、オフを使い分ける」というスマートな“アメリカ人ビジネスマン”とは、ほど遠いものだった。
私は、このような勤務態度が決していいと思っているわけではない。改めて認識したのは、アメリカ人の中には、自分が何とはなしに思っているよりはるかに上下関係を厳格にとらえ、仕事に対しては高いコミットメントを持ち、ストイックに取り組む人も多いということだ。
より良い結果にこだわるが
アバウトで気まぐれなスウェーデン人
10年以上前のこと、私のボスがスウェーデン人になったことがあった。彼とあるプロジェクトで密接に仕事をした時、彼は、彼も含めたチームで、つい先ほどまで綿密に練ったプランを突然変更することが度々あった。度重なるあまりの豹変ぶりに、ある時さすがに私もキレて「さっきまであんなに議論したのに、なぜそのプランを変えるのか?」と詰め寄ったことがある。その時の彼のこともなげな回答は「気が変わったから」というものだった。
私はその答えを聞いた瞬間、なぜか訳もなく「そうか。気が変わったならしょうがないか」と、思ってしまったのである。せめてチームでの会議中にそのプランを思いついてほしいと思ったが、まあ、気が変わったのなら仕方がない、と。
それに、確かにいつも冷静に検討し直すと、変更後のプランの方が優れていることにも気がついていた。
彼の気まぐれさに呆れているわけではない。彼のより良い仕事をしようとする態度、また、良いとなればその場で方向転換する素早さに感心したのだ。
正直に言って、私はスウェーデン人と仕事をする機会がそれほど多くあった訳ではない。また、私自身は特定の先入観も持っていなかった。
ただし、後にいろんな人に聞いてみると、日本人が考えるスウェーデン人は、北欧という厳しい寒さと頑丈な自動車「ボルボ」のイメージがあるせいか、堅実というイメージが強いようだ。彼のような、気まぐれでアバウトな国民性というイメージは、むしろ、イタリアやスペイン、ブラジルなどのラテン系の人々に多いと想像しがちである。
そういった意味で、彼はいい意味で“規格外”の人物であり、私は、この時の経験からスウェーデン人に対して親近感と信頼感を持っている。
“イギリス人”ビジネスマンに
共感し泣きそうになった出来事
新入社員研修で同じクラスになったスコットランド人が、自己紹介の時にホワイトボードにイギリス全体の地図を描き、それを4つの地域に割るとそれぞれに「S」「I」「W」「E」と書き入れて、スピーチを始めた。
「自分はスコットランド人だからSの地域から来た。ここがスコットランドだ。Iはアイルランド。Wはご存知の通りウェールズだ。では、諸君、Eは何だか分かるかな?」
皆がイングランドと回答しようとした瞬間、彼はニッコリと笑いながら「Enemy。敵だ」と言った。教室は爆笑の渦である。かなりエッジの聞いたブラックジョークだが、私も腹を抱えて笑ってしまった。
思い出に残っているのは、スコットランド人から見ると“敵国”のイングランドから来たプロジェクトメンバーの話である。
最初に述べたアメリカ人たちと行ったプロジェクトで、イングランド人の彼は、事務的な管理をする役割だった。各国から様々な専門知識を持つ優れたリーダーが集まったプロジェクトだったので、議論は侃々諤々、オーダーは朝令暮改、同じことの繰り返しややり直しが相次いだため、意見調整を担う彼の苦労は一筋縄ではなかったはずだ。私も小さな領域の担当ながら、多忙さに翻弄されてヘトヘトになっていた。
それでも大変だったプロジェクトが成功し、私がその結果を告げるメールをプロジェクトメンバー全員に送った際、彼は私だけに個別に返信をくれた。そこには、
「私は文化のギャップを超えて成功したこのプロジェクトに参加できたことを誇りに思う。グローバルプロジェクトを成功に導くのは並大抵の努力ではない。君は多くの苦労をしたが、その苦労は経験した君にしか分からない。君はアメリカ人たちの解釈には、物事にはイエスかノーかの白と黒しかないと感じたことだろう。しかし、イングランド人である私は、日本には白と黒の間に無数の諧調のグレーがあることを知っている。だから私は、君の苦労についても想像することができる。心から成功を祝う」
と書かれていた。それを見た時、私は不覚にも涙が出そうになってしまい、それと同時に彼と“イギリス人”に対して、いや、もっと言うとアメリカとヨーロッパに対しての認識を新たにする機会になったのである。
「先入観を超えた経験」のすすめ
一国の国民にも驚くほどの多様性
実際のところ、“外資系企業”といっても日本で働いているならば上司や同僚、取引先なども日本人であることが多いだろう。
しかしまた一方で、外資系企業では多くの日本企業で働くより、グローバルな環境で働く機会がずっと多いのもまた事実である。
各国の国民性について先入観やステレオタイプの印象しか持たないことは、ダイバーシティが叫ばれる最近の世の中では、もはや偏見でしかない。
グローバルな環境に触れる機会を積極的に活用し、一国の国民にも驚くほどの多様性があることを実感したい。そして、時には「先入観を超えた経験」をすることで新鮮な驚きを得たいものである。