欧米の企業では年次の人事評価をやめた!? 「ノーレイティング」は日本に広まるのか 学習院大学守島基博教授インタビュー(後編)

総合欧米の企業では年次の人事評価をやめた!? 「ノーレイティング」は日本に広まるのか 学習院大学守島基博教授インタビュー(後編)

今、GE、マイクロソフト、アドビシステム、GAPなど米国のグローバル企業を中心に、年度単位の業績に応じて社員をランク付けする年次評価(レーティング)を止める「ノーレイティング(No Rateing)」という試みが広がっている。日本にも「ノーレイティング」は普及するのか。また、日本企業の人事評価制度はどうあるべきか。人材マネジメント研究における第一人者である学習院大学守島基博先生にお話をうかがった。(取材・文/井上佐保子)

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「ノーレイティング」とはなにか?

――最近の人事業界のトレンドワードは、米国のグローバル企業が相次いで取り入れているという、「ノーレイティング」です。評価をせずに、どのようにして人事マネジメントを行っているのでしょうか?

守島教授 まず、誤解していただきたくないのは「ノーレイティング」は人事評価をやめることではない、ということです。GEで使われている「9ブロック」のように社員をカテゴリー化したり、「S A B C…」といった形で人を順位付けしたりする評価方法を止めよう、ということなのです。

守島 基博(もりしま・もとひろ) 学習院大学経済学部経営学科教授 1980年慶應義塾大学文学部社会学専攻卒業、1982年慶應義塾大学社会学研究科社会学専攻修士課程修了、1986年イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了人的資源管理論でPh.D.を取得、同年カナダ国サイモン・フレーザー大学経営学部(ビジネス・スクール)AssistantProfessor、1990年慶應義塾大学総合政策学部助教授、1997~2007年労働政策研究・研修機構特別研究員(非常勤)、1999年慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授、2001年一橋大学大学院商学研究科教授、2010年より厚生労働省労働政策審議会委員、2017年より現職。

――なるほど、「一番優秀な人はS、次に優秀な人はA…」といったランク付けを止めた、ということなのですね。なぜこのような動きが広がっているのでしょうか?

守島教授 このやり方だと、多くの場合、下の評価をつけられた人は、成長欲求もなくし、モチベーションも低下してしまいます。

今は、日本だけでなく、先進国はどこも労働人口減少、そして人材不足という課題を抱えています。もはや、一部の優秀層だけを選抜して戦力化するのではなく、「全員戦力化」しなければ、勝ち残っていくことはできない状況で、これは日本だけでなく、米国のグローバル企業も同じです。

しかしながら、低い評価をつけられ、モチベ―ションを喪失した人は、成長意欲もなくし、戦力化できなくなってしまいます。全員を戦力化するためには、ランク付けをすること自体が目的化したような人事評価のやり方はやめよう、ということになったわけです。

また、同じ「C評価」の人でも、どうにもならない市場環境の変化によるものか、本人の怠けによるものか、その中身は異なるはずですが、「C評価」と付けられた瞬間から、「なぜその評価だったのか」についての情報が失われてしまい、適切な育成や配置につながっていかない、という問題点もあります。

マネジャーの負担が大きい「ノーレイティング」

――「ノーレイティング」の場合、どのような人事評価となるのですか?

守島教授 まず、どのレベルにいる人も、それぞれの人が持つ力を伸ばしていこう、というのが「ノーレイティング」の背景にある考え方です。ポイントとなるのが、現場のマネジャーです。「あなたはA評価」「あなたはB評価」と、評価の結果を告げるだけだったこれまでのやり方を止め、現場のマネジャーが部下の一人ひとりの働きぶりを見ながら、その部下が成長し、活躍できるようにコミュニケ―ションを密に取りながら細やかに評価を行っていきます。これは、現場のマネジャーが今までより丁寧に評価を行っていくことを目指すもので、ある意味で現場の人事マネジメントを重視し、「人事評価を強化」しようとする動きでもあると思います。

――なるほど。一人ひとりの人事評価を、現場でより細やかに行うためには、AなのかBなのか、といった目の粗い評価システムでは対応できないから「ノーレイティング」、ということなのですね。ですが、相対的な評価をつけないとすると、給料、報酬に関わる部分はどうなるのでしょうか?

守島教授 人事評価というのは、給与や昇進など処遇に関わってくることなので、最終的に相対評価にならざるを得ない部分はあると思います。ただ、一定の成果責任が求められる上の方のランクの人は成果目標となり、下の方のランクの人は成長目標がどこまで達成できたかで、ウェイトのかけ方を変えて処遇を決めるといった形で、現場のマネジャーが判断するということになるのでしょうね。日本でやる場合は、入社10年目までは成長目標、その後は成果目標といった年次管理もできますが、米国の場合は、入社年次も経験もバラバラなので、部下一人ひとりについて目標設定も個別管理していかざるを得ないと思います。

――評価のない「ノーレイティング」。部下にとっては良さそうですが、マネジャーは細やかに対応しなければならず、手間も増えて大変そうですね。

守島教授 私は、日本はもちろんのこと、米国でも「ノーレイティング」は広がらないのではないか、と見ています。というのも、マネジャーに負担がかかりすぎるからです。現場に部下の管理をしっかりできるマネジャーが多くいないと、この仕組みは成り立ちません。実際、米国のGEでも苦労していると聞いています。やはり高い成果を上げてきた人がマネジャーになっているので、どうしても部下に対しても成果による評価をしてしまいがち、ということがあるのではないでしょうか。グーグルやP&Gなどではうまくいっていると聞いていますが、これらの会社はもともと、現場のマネジャーが部下の一人ひとりを細やかに管理してきた企業かもしれません。

日本企業で「ノーレイティング」は根付くか

――日本企業で「ノーレイティング」を取り入れるのは難しいのでしょうか?

守島教授 私は難しいと思っています。「ノーレイティング」の導入はマネジャーの負担を増やすことにつながります。日本の現場マネジャーの多くは多忙なプレイングマネジャー。今の状況で、より手間のかかる人材マネジメント業務を加えることがどこまでできるでしょうか。また、「ノーレイティング」を取り入れるということは、人事が評価や処遇にまつわる権限を手放し、現場マネジャーに委譲するということでもあります。果たしてそうしたことができるでしょうか。

ただ、「ノーレイティング」が取り入れられないからといって、現場のコミュニケーションを疎かにしていい、ということではありません。

――評価の方法がどうであれ、上司と部下のコミュニケーションは欠かせない、ということですね。

守島教授 現場のマネジャーが、部下とコミュニケーションを取りながら、育成し、モチベーションを管理し、プロセスを評価し、成果が出るように成長させることはどこでも大切です。それは、今のMBOによる人事評価制度の下でもやらなければならないことですし、優秀なマネジャーはそれをしていて成果を出しているのだと思います。ですので、私は今の人事評価システムのままでも、MBOの本来の意味を理解し、現場のコミュニケーションを活性化する方向で支援するようにしていけば、実現できるように思います。

人事が現場マネジャーのためにできること

――人事評価を人材育成につなげていくためには、現場のコミュニケーションが重要とのことですが、人事はなにができるでしょうか。

守島教授 具体的な手法としては、コミュニケーションの重要性を伝える、コーチングの研修を行う、といったところになるかと思います。ですが、そもそもコミュニケーションのベースとなる信頼関係が築けていない現場も多く、その場合は、信頼関係の構築を支援することから始める必要があるかもしれません。

ひと昔前の日本企業では、男性正社員中心、長時間労働の上に、飲み会があり、社員旅行があり…という中で、良くも悪くも強いつながりが生まれていたために、意識してコミュニケーションを取らなくても阿吽の呼吸で仕事を進めていけるようなところがありました。しかし今の職場には雇用形態も勤務形態も異なるさまざまな人がいます。時短勤務や在宅勤務の人もいるなど、顔を突き合わせる時間も短くなっていて、コミュニケーションのベースとなる信頼関係を築く時間も機会も少なくなっている。このようにバラバラになった人たちがコミュニケーションのベースを築いていくためには、いわゆる「組織開発」をもっと進めていく必要があると思います。

――「組織開発」というと大がかりなイメージですが、たとえばどのようなことがありますか。

守島教授 信頼関係をつくるきっかけとなるような、ちょっとした場づくりから始められたらいいと思います。朝の短い時間に、朝活としてなにか顔を合わせて話す場を作るとか、週に1度ランチを一緒に食べる時間を取るとか。昔の企業がやっていた場づくりは、社員旅行とか運動会とか、けっこう重かったですね。それはそれで悪くはないですが、今は、それぞれの職場に合わせた形で取り入れやすいことからやっていけばいいと思います。

――人事が主導でそうした場づくりをするというイメージですか?

守島教授 人事はあくまでもマネジャーのサポートです。人事が現場のマネジャーに対してできることはたくさんあると思います。場づくりがしやすくなるような制度を整えたり、コーチング研修を企画したり、あるいはバーチャルなコミュニケーションツールの提供、といったこともその一つでしょう。

――最後に、日本企業の人事評価制度は今後どのように変わっていくといいと思われますか?

守島教授 「ノーレイティング」はそれほど広がらないのではないかと思いますが、今の人事評価制度をベースとして、より現場のコミュニケーションを高め、人材育成を目的とした人事評価制度になっていくといいと思いますね。実際、いくつかの企業の人事から人事評価制度の見直しについてのご相談を受けています。企業の成長には人の成長が不可欠ですので、人材育成のため、また優秀な人材の確保のために人事評価制度を見直す方向にシフトしてきているのは確かです。今後、企業が生き残っていくためには、「10年後に企業がありたい姿であるために、人をどう育てていくのか」といった中長期的な視点で人材育成を考えられるかどうかにかかっているかと思います。