女性雇用女将に聞く、女性が男性を「使う」コツ ④
―― 桑村さんは42歳で料亭「高台寺和久傳」の若女将に就任されました。当初は自信がなくてなくて……というお話を、前回にうかがいました。
桑村:その時は、「自分は料亭の女将なんかできない」という思いでいっぱいでした。その前に東京で取り組んだ物販の仕事が、面白くて、楽しくて仕方なかったものですから、物販に気持ちが残ってしまっていたんです。でも、覚悟を決めて100%の力を料亭に注いだら、実はこちらも面白かったんです。
―― 自分自身が思う、向き不向きは、意外と当てにならないものなんですね。
「役に立つ」とは異なる視点がある
桑村:といっても、私がしたことは、そんなに大層なことではないんです。何かというと、スタッフを技能・技術だけではなく、「どういうふうにお店にいい空気をもたらせてくれているか」で評価していこう、と。ただ、それだけでした。
―― 「役に立つかどうか」ではなくて、「いい空気をもたらすか」、ですか。
桑村:私が料亭の女将に就任した時は、料理方とサービススタッフの間に意思疎通がなく、お給料の基準も別で、歯車がかみ合っていない状態でした。そのような状態はお店の雰囲気に反映され、お客さまにも伝わってしまいます。ですから、最初にその状況を打ち壊さねば、と考えました。
そのためには、因習的な上下関係ではなく、誰にも分かる公正な基準で店を運営していくことが大切でした。そこで、それぞれの持ち場の責任者と膝づめで話をして、また、大きな人事異動もしました。そのために和久傳を離れた方もありましたので、決して簡単なことではありませんでした。
料亭の仕事は、言ってみれば全部が裏方作業です。どんなに一所懸命下働きをしても、誰も見てくれないし、評価もされない、ということになったら、仕事ぶりも投げやりになってしまいます。逆に、誰かがちゃんと見て、評価してくれれば報われるし、向上する気持ちが生まれていきますよね。
そこに気を付けたら、仲間同士の正当な切磋琢磨が始まったんです。目標が変わってきたことが大きかったように思いますが、「だったら、こういうことがみんなでできるし、次のことにも挑戦できるよね」と、全体が前向きに変わっていったんです。
―― 働いている人が、「私もがんばれば、あそこに行ける」と希望を持てることって、大きいですよね。お給料も大事ですが、それ以前に自分の思いや努力が報われることは、人間にとってすごく必要だと思います。
桑村:料亭は私が入った年に前年比で70%と、売り上げがドンと落ちたのですが、しばらくしてから、お料理の評判も上がり、新しいお客さまも付いてくださるようになり、翌年は130%増に転じたんです。それをきっかけに、その後の売り上げも伸びていくようになりました。
―― 危機的とも言える落ち込みから、1年でV字回復。
桑村:自分なりのやり方で、自分を含めて全体が成長していけた時に、間違っていなかった、とすごく安心しました。しかも外側からでなく、お客さまからは見えない内側から変わっていけたことが、いちばんの実績のように思います。
主婦経験者はものすごく戦力になります
―― 前回、料亭とは、「女性が作った枠組みの中で男性が輝く場である」とおっしゃっていましたが、職場での女性のお仕事ぶりはどんな感じでしょうか。
桑村:それについては、まさしく「女性力」を実感している最中なんです。
もともと私の評価基準は、いかに「その人」が生かされるかであり、「女性だから」「男性だから」という区別はありません。でも、男女が人生で抱える事情は、まったく同じではないですよね。とりわけ女性は出産があり、子育てと介護にも時間と労力を取られます。そこを考えて、「適材適所」+「時間軸」で雇用をとらえていこう、と。
―― 「時間軸」とは、人生経験の節目という意味ですか。
桑村:そういうことです。正社員やパートタイマーという雇用形態とは関係なく、ご結婚なさって、いったん家庭に入られてから社会復帰される方も積極的に受け入れたいんですね。実際、そういう方が、うちではとても活躍してくれています。30代、40代、50代の女性の能力の高さは目をみはるものがあります。
―― 「主婦」の経歴は、企業社会では軽く見られがちですが、子育てを経験した女性の「動きのよさ」というのは、絶対にありますよね。
桑村:子育て経験のある人は、その場の全体像をつかむことも得意で、細かな場面に臨機応変に対応できるんです。会社というひとつの場所だけに浸かっている人よりも、よほど機転がきくのじゃないでしょうか。ここからここまでの間に、何をどういうふうにしなくちゃいけない、という段取りも優れていますし。
―― 「段取り力」。
桑村:それと、もちろんコミュニケーション能力は高いし。
―― 無駄なプライドはないし。
桑村:本当にそうですね(笑)。年齢を重ねると、お母さんの包容力に、人間としての深みも加わるようになっていく。そういう方たちと一緒に仕事ができるのは、非常にうれしいことでした。主婦経験のある方の再雇用は、経営にプラスだと、声を大にして言いたいです。
終身雇用の終わりは、公正さにつながる
―― 今、会社の中での正社員の比率はどのぐらいですか。
桑村:料亭部門は7割ぐらい、物販の方は半分弱ぐらいでしょうか。私は今後、女性の正社員を増やしていきたいと思っています。
うちでは男女とも終身雇用を原則にしています。料亭は、男性がスキルアップを志して転職するパターンが多いので、その自由度も保つようにしていますが、女性には子育てや介護などでいったん会社を離れても、また戻ってこれるような道を用意して、勧めているんです。
それはパートタイマーと正社員に差を付ける、ということではなく、人それぞれのライフスタイルがある中で、パートという雇用形態も選択肢としてあり得る、という考え方と並行しています。正社員を続けるか、パートタイマーとして戻るかは、それぞれの自由にして、パートでも仕事の中身は正社員と同じことを求めます。その代わり、現場での判断も信頼してまかせるようにしていますし、お給料や待遇に大きな差も付けないようにしています。
―― 前世紀の制度である終身雇用が崩れる中で、「同一労働、同一賃金」という考え方が注目されるようになっています。
桑村:終身雇用を大事に思う一方で、「同一労働、同一賃金」のよさも活かしたいと考えています。「同一労働、同一賃金」は、「同一の権限と責任」が、私の目指す「公正さ」につながります。それは雇用主の都合だけで言っているのではなく、「終身雇用、年功序列」よりも、働き手の自由度が高くなることにつながると思っているからです。
実際、子育ての期間にパートから入って、子育てが一段落した45歳で正社員になった人もいます。また、「定年」にとらわれず、元気である限り、仕事をして、生き甲斐を持ちたいと思う人も多いことでしょう。
もちろんすべての会社にあてはまるとは思いませんが、うちのような業態は、そういうことが強みでもあると思います。

―― 人は処遇が保障されれば、安心して働くことができます。スタッフが安心して働けるという要素は、業績の伸び率につながることだと思います。
桑村:一方で、うちは20代の女性スタッフも多いんですよ。社内教育の一環で、お茶、習字、香道などの先生に定期的に出稽古に来ていただいてもいますが、そうやってさまざまな世代の人たちが行き来する形になっていて、それぞれに見るものが違って、その視点を交換できる。今、核家族で、家庭でも3世代が揃うことって少なくなっているでしょう。家庭の代わりに、職場でいろいろな世代と交流することも、人にとってプラスだと思っています。
また、京都もほかの都市部と同じで、保育園の待機児童が多いんですね。将来的には、社内に保育所を整備して、今65歳ぐらいのスタッフに社員の子供たちの面倒を見てもらうような仕組みも考えている最中です。そこまでやって、はじめて人の循環が実現すると思うんですね。
それは、誰かの、店のためになるのか
―― お店では年配の仲居さんや、若い仲居さんが、仲のいい家族のように働いていらっしゃいました。みんなにとって桑村さんとは、雇用主というよりは娘であり、姉であり、母であり、と、愛されている感じがいたしました。
桑村:いや、そんな恥ずかしい。人が人に教えられることなんて限界があって、気持ちよく働くことができている人は、もともとその素質を持っているんですよ。
ただ、私は「経営者」ではなく、「母親的存在」になりたいと思っているところがあります。「料亭は女性が作る枠組みの中で男性が輝く」という話をしましたが、人は枠組みの中だけにいると育たないし、母親なら最後は子どもが強くなることを望むと思います。
スタッフには、その人が活かされる「場」を用意して、お互いに成長できればいいと思っています。私はできる人を特別に引き立てたりはしないし、できない人に同情もしないし、淡々とやっているだけなのですが。
―― 職場の雰囲気作りの一方で、料理屋に必要な技能、技術については、何か取り組んでおられますか。
桑村:若い人には伝統を学びつつ、でも自分なりの発見をして、感性を磨いていってもらいたいので、板場では「若手料理研究会」というものを作って、勉強の場にしています。
日本料理の板場は、料理長を頂点に、上下関係が決まっている世界なのですが、まだ下の方にいる修業中の若手が各店舗から十数人ほど集まって、仕込みから何から全部考えて、料理長と私の前で披露するんです。
―― つまり、プレゼンテーションですね。
桑村:はい、そうですね。その成果は人事考課にも反映させています。で、男の子たちがそうやってがんばっているから、女の子たちもがんばろう、ということになり、「ひめ椿会」という女子会もできたんですよ。
―― へえ。
桑村:私は子供がいないので、それぞれの店舗で若女将をたくさん育てていきたいんです。女将の仕事にマニュアルはありません。私自身、これでいいんだろうかと悩みながら、母の代からいてくれるスタッフの方の背中を見て、ここまでやって来られました。
女性は仕事とプライベートの両立に悩んだり、自信が持てなくて辞めたくなったりと、まだまだ、いろいろ迷うことがあるでしょう。そういうことも話し合いながら、互いが切磋琢磨していけるような場にしたいんですね。
―― 「女将塾」みたいなものですか。
桑村:そんな感じですね。実際に高台寺の店では、若女将の第1号が生まれているんですよ。2011年の就任ですから、今年で4年目に入ります。
あと、うちは月に1回、「お誕生会」もしているんですよ。誰を呼ぶかについては、正社員やパートの区別はなく、各店舗の店長の采配にまかせていますが、その際は「必ず『高台寺和久傳』にお客さまとして来てください」ということになっていて。
―― それ、すごく気前がよくないですか。
自分のお店を、お客として見てみる
桑村:スタッフといえども、店から一歩外に出れば、立場はお客さま候補。そんなお客さまの視点で、和久傳を外から見てもらいたいんです。仕事をしているだけでは、お客さまの気持ちは分かりません。自分が最高のお客さまとして迎えられて、気付くことも多いんです。
私は、料亭とは教育の場だと思っています。この世界は徒弟制が今も生きていて、みんな高くないお給料で一所懸命に働いている。そうである以上は、外に出た時に通用する何かを、ここにいる間に身に付けてほしいと思っています。日本の風土や文化を肌で感じながら、技術や感性を磨いて、人として成長できる場であり続けたいのです。
―― 老舗の料亭って血族主義かと思いきや、そういうこだわりはないんですか。
桑村:ないですね。
―― きっぱりと。はんなりした着物姿からは想像できない気風のよさですね。
桑村:あ、私、前世は江戸っ子だったんです(笑)。その日のことは、その日で終わりにするタイプ。
―― そんな桑村さんが「叱る」場面とは、どんな時ですか。
桑村:例えばある時、お客さまから「からすみは浅く焼いたものが好みなので、そうしてほしい」というリクエストを受けた板場の子がいたんですね。でも、その子はいつも通りに焼いてしまったんですよ。板場というのは縦社会なので、自分が勝手にお客さまのリクエストに応えたということになったら、料理長に怒られる、と思ったらしくて。
―― でも、まずお客さんが、怒りたくなるんじゃないでしょうか。
桑村:そうなんです。「じゃあ、あなたは『和久傳』を押し付けたの? どうして『焼き直させてください』と言わなかったの?」と、これは私、ものすごく叱ったんです。
「人間(じんかん)いたるところに青山あり」にならって、「人間いたるところに師あり」と言いましょうか、何か自分たちの基準と違うことが起きたら、それは考え直すチャンスです。自分のいる場所の基準を大事にすることと、それに疑問を持つことは、相反することではありません。その場その場で果敢にチャレンジしていくことの大切さと、それがいかに難しいことかを痛感しました。
―― 逆に、好ましい判断の例というものはありますか。
桑村:これは学生アルバイトのお給仕の子だったんですけど、彼女が入ったばかりの時に、大企業の社長さん3人のお席に付くことがあったんです。
もちろん、そんなすごい方々のお話に付いていけるはずもないので、彼女はできることを、ひたすらがんばった。お酒が切れないように、お水がなくなったらすぐ持っていくように、お話の邪魔にならないタイミングで料理をお出しするように……といったことです。
―― 接客マニュアルではなく。
イレギュラーでも、理念に沿えば受け入れる
桑村:そう、誰かに教わったノウハウではなくて、「どうしたら、よい時間を過ごしていただけるか」を自分なりに考えて必死にお給仕した。その様子は、体中の細胞を使っているように見えました。
それで、帰り際の雑談でみなさんが「関西に来たら粉物だよね」というお話をしていた時に、思わず「でしたら、次は和久傳でお好み焼きをお出しします」と答えたそうなんです。
―― 女将に、料理長に、怒られるかもしれない、というよりも先に。
桑村:たぶん一所懸命やった先に、思わず出た言葉なんですね。そうしたら、社長さん方は、「じゃあ、この3人でまた来るよ」とおっしゃって、実際に、もう一度店にいらしてくださったんです。
―― 関西財界では、「料亭でお好み焼きを食べる」というのがステータスになりそう。
桑村:料亭がお好み焼きをお出しするというのは、原則的にはありません。でも料理長はそのエピソードを受け入れてお好み焼きを作り、お客さまも喜んでくださいました。つまり、料亭として一定の基準はあろうとも、「お客さまにとっていいか」を現場が一所懸命に考えた結果なら、料理長も怒ったりはしないんです。
―― まさに生きた教育ですね。ちょっと話が逸れますが、今日のお着物は何をお召しでしょうか。
桑村:今日は平織りの紬ですね。きっちりと目が詰んで織られているので、冬でも単衣で暖かいくらいなんですよ。
―― 桑村さんは、優雅でありながら、サバサバと動かれて、お話ぶりと同じです。でも、冬の京都なんかは底冷えがするでしょう。そんな時は、ももひきを穿くとか工夫されているんですか。
桑村:とんでもない、ももひきなんか履いたら、女が廃ります!
男性を“使う”ために、必要なのは「尊敬」です。

―― 無粋ですみませんでした(笑)。そんな桑村さんに、ぜひうかがいたいのですが、男性はどう「使えば」いいんでしょうか、もとい、男性といい仕事をする時に、何かコツはありますでしょうか。
桑村:うーん。
―― にこっと笑って、お願いする、とか?
桑村:いや、何かいい例がないかな……それは冗談ではなく、私たちにとって本当に大事なことですよね。
もちろん、ぶすっとしているよりは、にこっと笑った方がいいと思いますが、まあ、あくまで表面のことですよね。私の世界、私の経験で言うと、やはり尊敬から始まらないとだめだと思うんです。
桑村:特に料理の世界にいる男性は、誇り高い職人です。実際、板場の修業というものは大変厳しいもので、たとえ年下の子であっても、そういう修業をしていることに対しては、自然と頭が下がります。
―― まずは、敬意に値する相手と仕事をすることだ、と。
桑村:女性は正義感が強いので、「俺に付いてこい」と命令されても、納得できなければ本心では付いていきません。でも、説明されて、納得ができたら、ものすごく協力的になります。
―― その通りですね。男性は意外とこの真理に気づいていない。
桑村:あと、うちの場合は、料理に対する「熱意」を持っているかどうか。私は料理が好きですし、食材には特に興味を持っていますので、店でお出しする一皿一皿に、熱意が感じられるかを大切にしています。その「熱意」で、職人さんたちと気持ちが通じ合うことが大事なんです。
―― 「尊敬」と「熱意」。両方が持てれば何よりだとは思いますが……。
桑村:その「熱意」とは相手から一方的にもらうものではなく、相手にまかせた時にしか出てこないものなんです。男性と同格に仕事をしたいのなら、自分も熱心でないと。熱心であるだけでなく、行動で示さないと。「まかせる」は、行動のひとつです。こちらが本気なら、相手も本気になってくれます。
常套手段に頼らない結果として、戦略が生まれた
―― 昨年は、和食がユネスコの無形文化遺産に登録される一方で、有名ホテルの食材偽装が問題になりました。両極端がある「食」の世界で、現場が熱意を持って仕事に取り組んでいることは、うらやましい、というか、すばらしい。
桑村:うちの厨房には、アメリカやフランスから修業に来たシェフも入っているんですよ。そうやって、外国の人に日本料理のすばらしさが認められていることを、若い日本の方にお知らせしたいですね。日本料理の将来を担ってくれる若者が少なくなっているからです。近い将来は、ベトナムなどアジア諸国からも修業の方をぜひ迎えたいと思ってもいます。
―― 熱意が理念につながり、ブランディングが進んでいく。それが「和久傳」なのだと、お話をうかがいながら思いました。
桑村:今までのお話はすべて、戦略的にやってきた結果ではなく、ひとえに「常套手段に頼るのはカッコ悪い」という、私の思いの延長にある気がします。これは持って生まれた感覚としか言えないものですが、一方で、私たちのような京都での後発組は、常套手段では勝てないことも事実なんです。
―― 先行するブランドや、競合相手に正面からぶつかってもダメだ、という現実は、どんな業種でもありますよね。
桑村:私たちにとっては、競争に勝ちたいというのではなく、「次はみんなで、あれができたらいいよね」という「発想」が、すべての原点ですね。その発想を大事にして、ブレないように一歩一歩実現していく過程で、ブランドへの信用が付いてくるのではないかと思います。
ですから、ここまでできればいい、ということもなく、今もいろいろな構想が動いています。
―― どんなものですか。
桑村:長い間、食べ物の仕事に携わる中で、料亭の枠を超えて、健康にいいものを総合的にお出ししたい、というもうひとつの理念が、徐々に形になってきたところです。
2008年に母が、故郷の丹後・久美浜に食品工房を開いたのですが、その前年から周囲に「和久傳の森」を作ることも始めました。生態学者の宮脇昭先生からご指導をいただき、いろいろな在来種の樹木を密集させて、植物の生存力を引き出しながら、緑の森を広げ続けています。

かつて母が丹後から京都市内に「和久傳」を移すと決めた時、町の方々から「『和久傳』をなくさないでほしい」という嘆願をいただきました。そのお気持ちに応えられなかったという思いが私たちの中にはあり、市内での商いが一段落したら、必ず故郷に報いたいと思ってきました。
久美浜では工房の近くに和久傳の田圃があり、無農薬・無化学肥料でお米を作っています。うちでお出ししているのは、そこで収穫したお米なんです。
また工房の隣には大きな畑も作り、有機栽培で野菜も育て、今ではそれらを和久傳の料理やおもたせの材料にしています。
―― 素材から一貫して。夢と希望のあるお話です。
壁の突破こそ、楽しみです
桑村:それは昔、室町の店を切り盛りしていた時に、ストレスと忙しさで、自分自身が体を壊した経験があるからでもあるんです。その時、私を助けてくれたのは、無農薬で育てられた地場の野菜や、お漬け物といった昔ながらの日本の発酵食品でした。
そんなこともあって、うちでお出しするものは、素材からこだわっていきたいと、強く思うようになりました。田圃では毎年、春には田植えを、秋には稲刈りの日を設けて、従業員総出でお手伝いをしています。農作業の後にいただく新米のお握りや、カレーライスはとってもおいしいですよ。そうやって、人を育て、素材を育て、森を育て、と、すべてに「和久傳」らしい愛情を注いで、お客さまには自信をもってお料理をお出ししたいんです。
―― 「和久傳」は、通常の商売の常道から一歩はずした視点で、料理屋という成熟した市場に切り込みました。ブランディングにしても、マネージメントにしても、その成功には、桑村さんが女性である、ということが強く作用していると思いました。キーワードは、美意識と、しなやかな強さの両立です。
桑村:よく母が言うのですが、途中でやめるから失敗になる、やめなければ、何かに実を結ぶ、と。近々、もうひとつ別のプロジェクトを構想しています。賛同してくださる方もいれば、反対する方もいて、簡単にいきません。でも、それがいいんです。これから、どうやって壁を突破していけばいいか。楽しみです。
