総合個人を尊重する「ほぼ日」が、 組織として機能する3つの仕組み
「ほぼ日」の社内調査を担った社会学者が、組織らしくない「ほぼ日」の組織の謎に迫る連載の3回目。今回は、個々を重視する「ほぼ日」が組織としての力をどのように活用しているかを探る(調査は2015年6月から2016年3月までの10ヵ月間にわたって行われた。連載で描かれるエピソードは特に断りがない限り、上記期間中のものである)。
今回は、個人の能力が阻害されない組織を目指す「ほぼ日」が、どのように社員同士で協働したり、組織全体で良いパフォーマンスを出す仕組みを可能にしているのかを見ていこう。
これは主に3つの側面から垣間見ることができる。
1つ目に「ほぼ日」が求める正社員の条件、2つ目にチームプレーの推奨とそれを支える人事制度、そして3つ目に、規則による一般化を避けて常に個別具体の事例に対応しようと姿勢である。
「ほぼ日」が求める正社員の条件
「ほぼ日」は、現在は定期的な採用は行っておらず、必要に応じて部署ごとに、その都度、採用過程が一から検討されている。そのため応募に必要な書類や、採用過程も毎回異なる。
しかし、「ほぼ日」は正社員に求める条件として、2つ明確な特徴と方針を持っている。どのような職種であれ、共通して募集要項に挙げられているのは、(1)任される業務領域が広範囲であることと、(2)応募者自身が、その領域の広さや自由度の高さを楽しめることである。
この点はエンジニアやデザイナーなど、一般的には業務が細分化されやすい領域に関しても同様である。たとえばデザイナーであれば、「『ほぼ日』や東京糸井重里事務所のビジュアル、表面に関わることすべてがデザイナーの仕事と考えています」と募集要項に記載されている(2010年2月の募集)。
中途採用で「ほぼ日」に入社したデザイナーにインタビューした際にも、実際にその様子が伺えた。
たとえば、エディトリアルデザイン出身のデザイナーがウェブデザインから紙のパンフレットのイラスト制作、スマホのアプリケーションのデザインまで手掛けているという。媒体ごとに業務が分割されやすいデザイナー職が、ここまで領域横断的に手がけるのは珍しい。募集要項にこうした条件が明記されるのも、この条件が重要視されていると同時に、応募者との想定の不一致が起きやすいからでもあるだろう。
さらに人事担当者は「ほぼ日」の正社員の条件を、「野球で喩えるならば、一定の守備範囲を持ちつつも、自分の力の及ぶ範囲で、どこまでもボールを取りに行くこと」だと表現した。これは正社員に期待される業務の非限定性と、組織全体に対する協力的態度を指している。平たく言えば、暗黙の前提として、「なんでもやる」ことと、他の社員を助けることを求めているのだ。逆に、業務の限定できる受付や電話対応などはアルバイトや契約社員に任せているといい、その切り分けは意識的になされている。
そのため、社員は普段から組織全体について考えることを要請される。実質的には経営者や経営層以外の人間は常に全体を考慮しなくても組織運営は成立するが、厳格な部門制に比べて「考慮しなくてもよい」とされる領域が明示されず、各人の負担が大きい。職能を区切ることができる部分の人材については、そのような負担がかからないように雇用形態で明確に区分していると考えられる。
そうした正社員の業務の非限定性は、明らかに業務と判別できることに限らず、ちょっとした雑用や雑談をも含むものであるようだ。週刊東洋経済の取材記事(2015年4月18日発行)の中で、糸井氏は多くの応募者の中から「ほぼ日」に採用される人のポイントは何かと聞かれ、次のように答えている。
「友達の助けになる人。で、自分が何かを面白くしたい人。前に向かうベクトルと、横を見ている視線のベクトルと両方ある人。うちで、荷物の運び込みで前に車が止まると、みんなワーッと行きますよ。そのときに行かない子というのは、やっぱり困るんですよ」
社員にとっても、こうした姿勢は自然に共有されている態度だと認識されているようだ。調査の初期段階で、社員に「もし仮に、“『ほぼ日』らしさ”があるとしたら、どのようなものだと思いますか?」と尋ねた中に、次のような答えがあった。
「オフィス内で何か盛り上がると、『なになに?』とみんな自然と集まる雰囲気がありますね。そこで、呼ばれていないけれど『なになに?』と見にいくのが『ほぼ日』の社員らしさかもしれません。縮こまって、呼ばれるのを待っている人はあまりいないです。みんな、主体的に面白がる」
これは実際に、筆者が社内に滞在する間に何度も見た光景の一つでもある。
数人で雑談している間に大盛り上がりしたときや、社内外からお菓子の差し入れがあったとき、誰かがパソコンの前で飲み物をこぼしたとき、育児休業中の社員がお子さんを連れて社内に遊び来たときなど、状況はさまざまあれど、その集合の早さは目を見張るものがある。十数秒経たないうちに、あっという間に数人から十数人がきゅっと一ヵ所に集まってくるのだ。さながら即興の井戸端会議といった風情で、それが日中オフィスの中で何度も集合離散していく。そして、このような気軽な会話の延長線上にプロジェクトへの参加の誘いや、困りごとの対処の相談、企画の種となる雑談など、さまざまなやり取りがなされてもいる。
個人の業務遂行の自由度を支えるのは、こうした気軽に他者を助け、他者が発案した企画に面白がって積極的に乗っかっていく志向を重視する採用方針である。採用の応募要項で必ず書かれるほど重要な前提ともいえるのは、個人を強調する組織ゆえに、必要なら他者やチームを助けるために厭わず業務をやることが、組織としてまとまるための重要事項だからだろう。
チームプレーの推奨とそれを支える人事評価
そうした社員選別の条件だけでなく、日常的なプロジェクト遂行においても、「ほぼ日」ではチームプレーを推奨している。
コンテンツの中には、一人で制作自体を進められてしまうものもあるが、それでも「仲間を沸かせられない企画は顧客にも受け入れられない」という経験則が共有されている、と管理部門の部長は言う。積極的に企画の中身を仲間に開示し、互いに忌憚ない意見を多くもらうことで、企画自体のブラッシュアップやプロジェクトへのリクルーティングを行っている様子は、さまざまな打ち合わせや会議の会話の端々から伺えた。
そのようなチームプレーの推奨は、言葉の上だけでなく、人事評価の側面からも見られる。企画担当者は、自ら担当した企画が実施・公開された際には、顧客に受け入れられたか、という関心から閲覧数や販売数などを気にするものの、その数字が個人の人事評価に直結するわけではない。職級が上がるにつれて業績給の割合は増えるが、そこでも大きな差がつくわけではない。人事が個人を評価する際の軸も、業績それ自身にあるのではなく、業績に対する自己評価と他者からの評価が合致しているかどうか、という点にあるという。
またプロジェクトに対する社員同士の評価は、まず、それが企画担当者の「動機」に適っていたかが問題だとされる。結果があまり振るわなくとも、企画の「動機」自体が周囲も共感するものであれば、担当者は次回の企画の際に他の人から多くの助言や助けが得られる。反対に収益をいくら上げたとしても、それが本人の洞察や欲求から離れてしまった場合、たとえば他社でも展開されそうなものの場合は総じて評価が低く、そのプロジェクトは特別な理由がない限り継続される可能性は薄いという。
つまり、「ほぼ日」はプロジェクトを「なぜやるか?」という説明を強く個人に求めるが、その結果は組織に帰属している。そして、そうした形式で、チームプレーの推奨を制度的にも支えている。言い換えると、個人に企画の説明を求めることで担当者の責任感や自主性を求めつつ、結果のリスクは組織が担保し、社員が常に新しいことに挑戦するのを奨励しているのだ。くわえて「ほぼ日」において、それが組織に対する大きなリスクに転化しないのは、プロジェクト前後で社員同士の相互評価することで、評価と結果が間接的につながれているからだろう。
規則化を避けるコストと理由
とはいえ、個々人が協力的であったり、チームプレーが推奨されていたとしても、組織全体で効率化を目指した仕組み化が必要な局面もあるだろう。その際、権限や規則を嫌う「ほぼ日」ならではの難しさと説得方法が発生する。
たとえば、組織内に経費の承認過程を導入した際のエピソードがわかりやすい。迅速な決算作成のために経費のシステムに承認過程を導入しようとしたとき、担当者は多くの人から「自分たちできちんと取引先と交渉して計算しているのに、なぜ誰かの承認が必要なのか?」と懸念を示され、導入理由を説明するのに苦労したという。
「『規則だからやってください』は絶対に通用しない」ため、万が一、計算違いが起こったときに、他者の目が入ることで見つけやすいことと、社外への支払いなど会社として責任が発生する際に説明可能にしておくこと、の2点を理由として挙げたそうだ。
つまりこの組織では、「規則それ自体」や「担当者の利便性」などは説明材料とはなりづらく、各人の実質的なメリットと、組織外部への具体的な責任――その意味での組織全体――に言及することによって、ようやく納得されたことになる。言い換えると、役職のみに付随した利便性だけでは説明材料にならず、導入が個別的かつ説得的で、組織外で実際に取引先に迷惑がかかる可能性があること……などの理由が揃うことで、ようやく納得されたのである。
また、実際に規則を導入しないことによる負担がかなり高いと判断される場合もある。それでも、そうした説得を経てもなお、導入にするまでになんと6年もかかったという。
これほどまでに説得のコストが高いのは、それだけ日頃から規則による決定がなされていないからである。その代わりとして、社員の間では「あなたはどう考えるのか」「それは顧客(あるいは関係者)にとって嬉しいか」といった問いが代替として流通している。常に個別の具体的事例が個々の事情に合わせて、その都度、検討されているのだ。
これを効率の悪さと捉えるか、規則や権限がつくりだす弊害を最大限防止するための必要な労力と捉えるかは、組織のアイデンティティや事業領域によって変わるだろう。この連載でも追って記していくように、「ほぼ日」のような組織のあり方が抱える不便さはほかにもある。現在多くの研究で、個人の自律性や自発性が尊重される組織であることがイノベーションの鍵であることが指摘されているが、それらをどのように組織の中で担保するかは、それこそ多種多様でありえる。
そうした前提を持っていてさえも、個人的に驚いたことがある。あるリバイバル商品を企画する際に、新しい担当者が前任者に商品の細部についてほとんど引き継ぎを行わず、しかも、そこで生じた試行錯誤がコストとは認識されなかったことだ。リバイバルするにあたって商品のサイズや素材、縫い方など細かい要素の一つひとつを担当者は再検討していくのだが、前任者の設計がすばらしかったために、その過程は前任者の思考に感嘆しながら、その跡をたどるようなものだったという。
もちろん、結果的に発売された商品はデザインも含めて前回の商品とは異なるが、そうした試行錯誤の過程を、担当者も、また経営層もコストだとは捉えていなかった。むしろ、市場が刻々と変化しているにもかかわらず、前任者の設計を単に引き継ぐことは思考停止に等しいと捉えている、という。先に指摘した、個別事例をその都度検討していくこととは、まさにこのような事例のことも指している。安易に前例を踏襲しないことが、創造の前提であるとも捉えられているのだろう。
社員自身が「個々人が自由でのびのびと」働いていると表現する組織は、こうした個々人の業務の非限定性や他者へ協力する姿勢、チームプレーを支える制度、安易に規則化しないことで組織内の硬直化や企画の多様性を担保する環境によってかたちづくられている。
前回紹介した「内蔵型組織図」は、そうした組織全体を表現したものとも言える。異なる部署に同じ人が何度も現れたり、部署同士も緩く囲われるだけで排他的にはなっていない点、それでも部署としての各臓器がそれぞれ一定の役割を果たしつつ連携し、全体として一つのまとまりをなしている状態……。図が示すのは、そうした個人の部署間の越境や連携、全体の統合の思想である[注]。
こうした組織運営は理想とされることも多いが、そんな組織を運営していくには、相応のコストもかかっている。次回は、これまであまり指摘されてこなかった、こうした流動的で自由度の高い組織の不便さに焦点を当てる。
