ごまかしは習慣化される よい“性質”がなければ、一流にはなれない

総合ごまかしは習慣化される よい“性質”がなければ、一流にはなれない

今、京都・木屋町の「露庵 菊乃井」では、従業員の基本給を低く抑えて、残業時間の多寡で賃金を払う制度を採っています。いわゆる成果主義制度です。この制度ですと、閑散期の1月や2月は賃金が下がり、春の繁忙期になると給料は上がります。つまり、お客さんが多く来てくれて忙しくなれば、それだけ仕事が増えて、自分の給料も多くなるわけです。

実は、この制度を導入した当初は、若い従業員は嫌がっていました。上の人からは「何を長いこと片付けてんねん。さっさとやって、早く帰れ」と言われ、落ち着いて仕事ができません。「せわしない所やなあ」と思うのがオチです。

ですが「そうやない。いつまでもだらだらやっていると、勉強する時間も作れんやろ。片付けなんか早く上がって、ほかのことに時間をかけるようにしろ」と指導して、徐々に浸透していきました。

村田吉弘(むらた・よしひろ)
京都・祇園の老舗料亭「菊乃井」3代目。1993年、菊の井代表取締役に就任。現在、NPO法人日本料理アカデミー理事長。自身のライフワークとして、「日本料理を正しく世界に発信する」「公利のために料理を作る」(写真:菊池一郎)

そうした結果、4月のような繁忙期は残業をしないと店は回らなくなるのですが、従業員たちはむしろそれを楽しみにするようになりました。以前は「今日は忙しい、今月は大変だ」と言っていたのが、「明日は忙しい、楽しみだ」に変わる。同じ状況でも「嫌」から「好き」に変わるのですから、私はこの成果主義制度は、非常に“いいこと”だと思っています。

例えば、若い従業員が一人辞めたとしましょう。成果主義でなくて年功制の固定給だったら、辞めた人の仕事をほかの人がカバーしないといけないので、「それは嫌です。一人採ってください」となる。

だけど今はそうならないんです。「あいつなんか大して役に立ってませんから、辞めてもらっていいですよ。代わりは自分らでやりますから」となりました。やっただけ成果になるのだから率先してやるし、代わりも要らないとなってくる。結局、従業員のモチベーションが上がったのです。

「習い、性となる」と知る

よくうちの親父が口にしていた「習い、性(せい)となる」という『書経』の言葉があります。

良い習慣を続けていたら、やがて生まれつきの性質のようになるという意味です。修業というのは、この言葉を実践していくことなのです。

例えば、積んであるモノが一部ずれていて放ってある。初めは、気にならないという人がいます。ところが、修業を積んで「きちんとする」ことを身に付けてしまうと、気になって仕方なくなります。並行に直そうとします。下の者が放っておいたモノでも、上の者が直そうとします。そして、下にも注意するようになります。もう、これは性質になっているわけで、そういうふうにならないと一流にはなれないと思います。

どの世界でも同じでしょうが、料理人は、料理人たらんとする性質を身に付けないとうまくいきません。料理人の修業はそのためにあるのです。

仕事は、ごまかそうと思えばいくらでもごまかせます。だけど、ごまかす人は失敗しますね。最近、話題になっている料理の表示の偽装問題なんかが典型でしょう。素材は言ってみれば、AからZまであるのです。それでもうちの店としては、Bでギリギリ、それ以下で作ったらまともな料理はできないということになれば、それを曲げてはいけない。目をつぶって「CでもDでも同じ、分からないだろう」というのは最悪の選択です。お客さんにはごまかしが分かるのです。

こういう時は、高いハジカミを使っていたのを安いミョウガに変えてみるなど、他のものでコストを調整すべきです。いろいろ考えてみれば、調整できる部分は出てきます。

ごまかすというのは習慣から来るものです。一度ごまかした人は、二度目もごまかすようになります。そうならないためにも、若手料理人には「習い、性となる」を実践して、良い習慣を身に付けてほしいと思います。