総合日本企業の「残業好き」が崩壊する意外な理由 気鋭の経済学者が読み解く「ライフ・シフト」
日本企業の主戦力とされてきた男性正社員が、「介護離職」で職場を離れざるをえなくなったとき、日本企業、ひいては日本社会が大きく変わりうると、大阪大学・安田洋祐准教授は説く。長寿社会への適応は、日本経済に何をもたらすのか。
介護離職が日本を変えるチャンス
――この本の特徴を、どうご覧になっていますか?
簡潔にまとめると、長寿化によって働く期間は長くなっていく。一方でテクノロジーの進展、たとえばAIの進化や新しい機械の登場で、職業選択の幅が広がる。労働市場の状況も早く変わっていく。そうしたなかで、個人レベルでどう対応するか、個人で何ができるかを描いた本ですね。
――私たち一人ひとりが、これからどう人生を描くかのヒントがある、ということですね。
そうですね。がっちりしたマクロ経済の話というよりは、ミクロレベルでキャリア形成に資する内容です。教育・労働・引退という画一的な3ステージモデルが終わって、人生がマルチ・ステージ化する。労働の後に学びの期間があったり、複数の仕事を同時に持ったりと、人生のシナリオが多様化する。そういうなかで、どう生きていくかを考える指針として非常に参考になると思います。ただ、企業の側からの関心もあると思います。
日本で、従来の働き方が大きく変わるきっかけになりうるものに、介護離職の問題があります。
――介護離職ですか?
そうです。企業の主戦力とされてきた男性正社員が、親の介護のために、長時間労働ができなくなっていく。場合によっては、会社を辞めざるをえない。そういう状況が間近に迫っています。そうなったときに、企業はどんな手を打つか。対応を迫られます。
この層の働き方が変わるようになれば、日本企業、ひいては日本経済全体が大きく変わる一大転機となるでしょう。これは、見方によっては大きなチャンスとも言えます。
残業を減らすインセンティブ設計
――社員のワークとライフのバランスを考える必要があると。
ワーク・ライフ・バランスは、これまでは主に女性活用という視点からの議論が中心でした。それに対応した制度は、企業の側でも実はかなり整備してきていると思います。ところが、多くの職場において実態はまだあまり変わっていない。
子育て支援などは、ベンチャー企業のほうが進んでいる面もあります。組織が若いのでフットワークが軽いし、経営者自身も若く、自ら子育てを経験中というステージの人も多い。だからそういう制度に理解があるし、トップの理解があることを社員もわかっている。
ですので、いざトップが子育て支援を制度として導入すると、社員がきちんとその意図をくみ取って制度を活用しやすい。「組織が変わる」という空気が生まれやすいのですね。
一方で大企業はどうか。少しステレオタイプかもしれませんが、大企業の経営陣は人生を仕事に捧げてきた人、特に男性のシニア層がほとんどではないでしょうか。長時間労働を当然、あるいは必要悪と思っているところがある。
こうして長時間労働が前提になっていると、子育て支援などの制度は導入されにくい。あるいは、制度自体はあったとしてもほとんど活用されない。こういった問題が起こりやすいのです。
なぜかと言うと、みんなが長時間労働をしているときに、自分だけ早く帰り続けていると昇進しにくくなる、あるいは職場の居心地が悪くなってしまう。つまり、せっかく制度が導入されても、自分だけがその制度を活用すると割りを食ってしまう、ということをみんなわかっている。そういう空気があると、制度は形骸化してしまうのです。
――なるほど。では、どうすればいいのでしょうか。
そこで、経済学的に言えば、インセンティブ設計が重要になってくる。ワーク・ライフバランス社代表の小室淑恵さんがおっしゃっていたのですが、ある会社でパフォーマンスの評価軸を、従来の成果量(=アウトプット)から、時間当たりの成果(=効率性)に変えたところ、長時間労働が大幅に減って、なんと成果も上がったらしいのです。基準が変わることによって、無駄な長時間労働を削ろうとする強いインセンティブが各社員や部署に生じるわけですね。
さらに、事前には予想していなかった嬉しい誤算として、以前はお互いに把握していなかった労働状況、つまり誰がどのくらいの時間、どんな仕事をしているのか、という情報の集約や見える化も、部署の中で自然と進んでいったらしいです。
似たようなアイデアとして、各部署にたとえば月50時間というような「残業枠」を与えて、それを現場で、仕事の優先順位に応じて各人に割り振るようにしても、効率化が図れるかもしれません。重要なのは、適切なインセンティブ設計に基づいて仕組みを変えれば、組織が生まれ変わる可能性が十分にある、という点です。
トップのコミットメントで変える
――それはインパクトがありますね。
こういうダイナミックな動きを取り入れていかないと、会社の生き残りも難しいでしょう。国際比較によって明らかにされている労働生産性の低さは、日本企業の長年の課題でした。男性正社員の働き方、生き方を変えることは、この課題を克服する大きなチャンスです。介護離職や100年ライフへの適応は、大きな変化のきっかけになりえます。
さきほど述べたように、たくさん働く、ということから、いかに効率的に働くか、に評価軸を変えると、生産性は大きく改善されると思います。加えて、そういう大胆なインセンティブ設計は、トップのコミットメントを伝えるというメッセージにもなります。
――トップのコミットメントとは、どういう意味でしょうか?
制度を変更したので個人がそれぞれ判断を変えてください、というだけでは、状況を変えるのが難しい場合も多いということです。たとえば長時間労働といじめには同じ構図がある。なくなればいいとみんな思っているけれど、自分だけが「止めよう」と手を挙げたら、昇進できなかったり、今度は自分がいじめられたり、といった被害を受けることになる。そんな不利益があるとすれば、誰も積極的に手を挙げようとしないでしょう。
だから、自分一人だけでなく、みんなもきっと手を挙げるに違いない、全員がガラっと行動を変えるはずだ、という期待を生み出さなければなりません。そのために、こう変えるんだ、目的地はここにあるんだ、という強い意思を、トップがはっきり示すことが大事です。個人が一人ひとりの判断で変わっていく、というボトムアップの積み重ねだけで全体が変わるのなら、もうとっくにそうなっているでしょう。
逆に言うと、現実がそうなっていないということは、一見すると非合理に見える長時間労働が、ひとつの安定的な「均衡」状態になっているから、と考えられます。
別の均衡に移るには、長時間労働を(結果として)肯定してしまっている全体の雰囲気を、トップのコミットメントで打破することと、個人がそういう空気から逸脱するためのインセンティブを与えることが欠かせません。
マルチ・ステージ化は非正規社員、主婦への恩恵
――長時間労働は当たり前、と思っている人には恐ろしい話ですね。
ここまでの話を聞いて恐ろしいと思うのは、3ステージモデルを前提に働いている一部の人だけではないでしょうか。安定した3ステージを思い描ける層というのは、現在はかなり少なくなってきたように感じます。
正社員としてひとつの会社で長く働く、という生き方をしていない人が増えている現在、マルチ・ステージの生き方を推奨する本書は、恐ろしいというより、ポジティブなメッセージを発するものだと思います。
非正規で働いている方、あるいは、出産や子育てで離職した後、もう一度働きたいと思っている方は、今のような体制は変わってほしいでしょう。非正規社員が正社員になったり、子育てで離職した人が職場復帰したり、という道はまだまだ狭いですから。
いったん正社員のパスからはずれると、はずれたままそのポジションが固定化してしまう。これは本人にとってはもちろん、社会全体にとってもよくないことです。
たとえば、半年ほど前に1カ月間滞在したシドニーでは、同一労働・同一賃金が日本よりも遥かに進んでいて、組織が変わっても同じような待遇や賃金が期待できるようでした。しかも最低時給が2000円くらいなので、給料自体が高いですし、育児休暇や時短勤務なども簡単に取得できる。すると、稼ぎたいときに稼げるし、生活への不安も少なくなります。マルチ・ステージの人生を実現するには、こういう社会環境が理想的でしょうね。
――イノベーションで寿命は延びた一方、イノベーション(AI、機械化)が仕事を奪うという点については、どうお考えでしょうか。
必ずしも、「奪う」ということだけではないと思います。テクノロジーの進歩で稼げる仕事が変わっていき、人がそれに適応せざるをえないとなったときには、そうした移行をサポートするテクノロジーも登場するでしょう。たとえば、新たな仕事に必要なスキルをAIから教わる、といった未来がすぐそこまで来ているかもしれませんよ。
――他に、テクノロジーによるどのようなサポートが考えられるでしょうか。
SNSのようなツールが発達すると、社会人になると疎遠になりがちだった学生時代の友人のような人たちとつながっていられるようになる。そういうゆるいネットワークが、いま抱えている問題を解決してくれることがあるかもしれません。特に、お互いの共通点が少ない「弱いつながり」が、意外にも役に立つことがあるのです。
企業も、こうした「弱いつながり」の社内ネットワークを活かす余地があると思います。ずっと長い間、あるいはいま現在もつながっている「強いつながり」の人は、あなたと同質的である、つまり似た者どうしの場合が少なくありません。そのため、あなたと同じように解決策を見いだせず、問題だけを共有してしまいがちです。
一方、「弱いつながり」の強みは、あなたと同質的でない分、新しい考え方やあなたにはないネットワークを持っているということです。大きな移行や発想の転換を実現したいという場合は、「弱いつながり」のほうが、「強いつながり」よりも高い資産価値を持つかもしれません。
最近はやりのシェア・エコノミーも、新しいテクノロジーが生み出したものです。シェア・エコノミーと100年ライフは、とても相性がいいと思います。モノを自分で所有するのではなく、必要な時に借りる、というライフスタイルが定着すると、場所やおカネに縛られず、より身軽に行動できるようになるからです。
自分にとって適切なタイミングや場所で仕事ができるようになれば、選択肢が増えます。シェア・エコノミーが浸透していくと、これからの人生は、自然とマルチ・ステージ化していくのではないでしょうか。
もちろん、そうは言っても、世界はなかなかフラット化せず、特にクリエイティブ・クラスは都市に集積するという議論もあります。しかし、テクノロジーがさらに進歩して、私たちがそれを十分使えるようになれば、1カ所に集積するメリットは徐々に薄れていくのではないでしょうか。それぞれが離れた好きな場所に住みつつ、地理的に離れていてもコラボレーションができる。そういった可能性も十分にあると思います。スカイプなどのツールは、すでにある程度はそれを可能にしていますよね。
「ありうる自己像」を広げる
――100年という時間のなかには、そういう変化も入ってくるということですね。
そうですね。そう考えると、100年ライフというのは、幅広い関心や好奇心を持った人には、とりわけ良い時代かもしれません。だって、複数のキャリアを歩めるわけですから。若いうちに努力して、老後はそのときの蓄積を食いつぶしていくという3ステージモデルの人生設計では、100年ライフはもたないでしょう。人生の選択肢が増える時代には、幼いうちに関心や好奇心をはぐくむ教育も必要になるかもしれません。
――本書のなかにも、「ありうる自己像」という概念が登場します。卒業後すぐに就職したりするのでなく、将来とりうる可能性を広げておくことを推奨しています。
たとえば、子どもへの定番の質問として、「将来なりたい職業はなんですか」というものがありますね。野球選手とか、消防士とか、どれかひとつだけを挙げてもらうのがいまは一般的です。ですが、将来なりたい職業を複数回答して、長い人生の中で、ひとつだけでなくいくつかを実現するのが当たり前、という時代が来るかもしれません。
あれもやりたい、これもやりたい、という子どもの好奇心をつぶして、「適性」にあわせてどれかひとつに絞り込んで集中させるようなことをせず、「あれができたから、次はこれをしようか」と、バランス良く一歩ずつステップアップさせていくことが、今まで以上に大事になってきます。今や身近となったインターネットは、そうした学びの機会もひらいてくれる強力なツールだと思います。
新しい働き方・生き方のフロンティア
100年ライフへの適応は、日本を変える大きなチャンスになると思います。本書は、そうした新しい時代のベンチマークとなる本です。
日本は、長寿化への対応ということでは世界のフロンティアにいます。世界に先駆けて長寿化が進む日本が、それにうまく適応する働き方、生き方のモデルを示せれば、世界にとっての模範になるでしょう。それで企業が変わり、人々がより自己実現できるようになり、経済成長にも資するということになれば、すばらしいですね。
経済成長に対しては否定的な意見を述べる方も多いですが、私は経済成長は必要だと思っています。成長を否定する人は、「成長から分配へと視点を変えよ」とよくおっしゃるのですが、現実には、成長がない中で平等を高めるような分配を実現するのはとても難しい。
成長がない状態というのは、ざっくり言うと、多くの人にとって自分の取り分が減っていく状態です。本人や家族の稼ぎが減っていく中で、さらに自分たちの取り分を減らして他の誰かへ分け与えることができるのか。政治的にそういった分配が簡単に実現できるのか。この困難を避けるためにも、できる範囲で経済成長は目指すべきだと思います。
