井の中の蛙「コロナ感染、菓子折りで謝罪せよ」――日本のおかしな組織文化

総合井の中の蛙「コロナ感染、菓子折りで謝罪せよ」――日本のおかしな組織文化

先日、あるNHKのニュース記事がインターネット上で物議を醸した。

本人や家族が新型コロナウイルスに感染。隔離期間終了後、職場復帰した際に菓子折を持ってこなかったことを職場の上司や同僚から指摘されたという内容である。

職場に菓子折りは必要か?(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

インターネット上では賛否両論のコメントが交わされたが、筆者はこのような組織風土は、事業継続性や働く人たちのエンゲージメントなどの観点でも、大いに問題だと捉えている。

日本の組織文化のウェットさと闇が垣間見え、正直「公私混同甚だしい」「危機感がまるでない」と、ある種の情けなささえ感じている。

責任を個人に押し付ける、不健全な組織構造

新型コロナウイルスのような感染症の罹患は、ほとんどが自己管理では避けようがない「他責」要因によるものであろう。

家族の人数が多ければ、その分罹患リスクや外出自粛になるリスクも高い。特に感染力が強いとされているオミクロン株においては、かかるかかからないかは「もはや運次第」のような状況と推察できる。

もちろん、明らかに自己管理が足りない人については責める余地もあろう。しかし、多くの人がうがい、手洗い、マスク着用など日常生活を送りながら罹患防止に努めている状況において、感染による休職を本人のせいにしたり、「迷惑を掛けたから謝罪せよ」と迫ったりするのはお門違いも甚だしい。

休んだ本人を責めたくなる気持ちも理解できる。人手が足りない職場であればこそ、誰かが休めばその分の仕事のしわ寄せがほかのメンバーに行く。

しかしそれはマネジメント、すなわち経営の責任であろう。

  • テレワークできる業務なのに、環境を整えない/認めない
  • 混雑の中、出社させる
  • 仕事のやり方を変えようとせず、欠員があっても業務量を減らさない

新型コロナウイルスの感染拡大が始まってから、間もなく2年がたつ。にもかかわらず、対策を講じず、現場に不協和音とギスギスを生じさせている状況はマネジメントとしていかがなものであろうか? 新型コロナウイルス感染の怒りの矛先は、むしろ経営陣や政府や国に向けるべきではないか? 目の前の弱いものだけを悪者扱いするメンタリティと組織構造に、情けなさと陰湿さを感じる。

避けきれなかった感染に関しては、「仕方ない」で割り切る。それができないなら、個人を責めるのではなく、組織としての改善を図るのがオトナの対応であろう。

そもそも菓子折りほどのコミュニケーションは必要か

どうも日本のレガシーな組織(日本だけとは限らないかもしれないが)は、職場にウェットな人間関係を求めすぎるきらいがある。

終身雇用前提で、社員が会社組織に対して長期間(新卒で入社してから定年退職するまで)かつ長時間(残業や休日出勤も厭わず)滅私奉公する構造が長かったからであろうか。人材流動性が低い前提で組織文化が醸成されてしまったからであろうか。上司と部下はまるで一昔前の親子のように、あるいは中学や高校の体育会の部活動のような上下関係や師弟関係を持ち込みすぎる。

親子や、部活動の師弟のような関係を作りたがる日本の組織(画像はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

コミュニケーションにおいても同様である。

「テレワークだとコミュニケーションがうまくできない(だから出社に戻す)」──このような言葉を私自身、多くの職場で耳にしてきた。

もちろん仕事においてコミュニケーションが重要なのは言うまでもないが、それにしてもそこまでウェットなコミュニケーションが求められる仕事が本当にどれだけあるのだろうか? その場に居合わせることでコミュニケーションしている気になって、実際は必要なコミュニケーションができていなかったのではないか? 甚だ疑問である。

そこへ来て「休んで職場に迷惑を掛けたのだから、菓子折りを持って来て謝罪せよ」。これはもう度が過ぎている。

職場は仕事をする場である。なのにプライベートでの“雅なしぐさ”を持ち込みすぎ、公私混同しすぎである。何より、ただでさえ病み上がりで(あるいは罹患した家族のケアで)大変な本人に、菓子折りを買うために無駄に外出させ、お金をかけて配らせるなどそれこそオトナとしての配慮に欠けている。少なくとも、強制すべきものではない。

どうしても菓子折りの購入と配布を求めるのであれば、それは職場コミュニケーション活性のための業務命令であり、菓子折りを買いに行く手間や時間を業務時間とカウントした上で「社内飲食費」「福利厚生費」として経費扱いすべきである。

そんな雅なままごとをしているほどその職場は安泰で暇なのであろうか? その危機感のなさが情けない。

「井の中の蛙」な組織にならないために

このような前時代的な価値観から抜け出せない職場、公私混同甚だしい理不尽な慣習が色濃い職場、改善をしようとしない職場に対して、仕事に意欲的な人ほどモチベーションを下げる。

「ワークエンゲージメント」という言葉がある。組織や仕事や仲間に対するつながりの強さ、すなわち帰属意識、愛着、誇りなどを意味する。

プロとしての成長意欲が高い人、家事や育児や介護など制約条件がある中で職場でもパフォーマンスを発揮したい人、学校に通いながら複業しながらなどほかにやりたいことがある人であればなおのこと、「本業に関係のない雑務」をすることでエンゲージメントが下がる。

「テレワークだとコミュニケーションがうまくできない(だから出社に戻す)」といった対応も、やる気のある人、正しく成長したい人のエンゲージメントを下げる。

彼/彼女たちはただ単に出勤させられるのが嫌なわけではない。IT技術を使いこなそうとしない、新しいやり方を取り入れようとしない、仕事のやり方や組織カルチャーを変えようとしない経営陣や管理職に対して「情けない」と幻滅し、「この会社大丈夫か?」と危機感を持つのである。

旧態依然の組織カルチャーで、本来正しく活躍できるはずの人を遠ざける。これはダイバーシティー&インクルージョンの観点からも大いに問題である。

日本のレガシー組織よ。そろそろオトナになろう。仕事をする場に、プライベートの雅なしぐさを持ち込みすぎる組織カルチャーからいい加減卒業しなさい。

多様化が進む時代、固定化した価値観や組織慣習は活躍できる人材や意欲的な人材を遠ざける。流動性のない組織、陰湿な組織は「ムラ社会」と化し、やがて過疎化が進む。

それは地域社会においても企業組織においても同様である。同じ組織しか知らない、プロパー人材が主流派を占める閉鎖的な企業も問題である。外を経験する「越境学習」も取り入れ、組織カルチャーとスキルの健全化を促していきたい。

井の中の蛙集団は、組織を停滞から衰退に導く。