総合グーグル社員の高いモチベーションを 根幹で支えるものとは?
グーグルの社員の高いモチベーションを支えるものとは何か。天才的なエンジニアや開発者たちが革新的なプロダクトを次々と生み出していけるのはなぜなのか。その根幹には、ある特徴的な考え方がある。かつてグーグルの会議で反論が出たとき、エリック・シュミットは、その考えをもとに意思決定を行った。シュミットが発した決定的な一言とは。グーグル、ソフトバンク、ツイッター、LINEで「日本侵略」を担ってきた戦略統括者・葉村真樹氏の新刊『破壊――新旧激突時代を生き抜く生存戦略』から、内容の一部を特別公開する。落合陽一氏推薦!

グーグル社員の高いモチベーションを支えるもの
実は、企業としての社会での存在価値の有無というものは、組織として、そこで働く人たちを動かす上でも大きな違いをもたらす。
人間のモチベーションというのは、個々人の欲求をいかにコントロールするかにかかっており、それが高次なものであるほど、人はより高いモチベーションを維持しうる。
マズローの段階欲求説に基づくと、「自己超越」が最も高次の欲求に位置付けられているが、これは個々の自己を超えた存在に向けて奉仕を行いたいという欲求で、「目的の遂行・達成を純粋に求める」という領域であり、見返りを求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭し、何かの課題や使命、仕事に貢献している状態だという。
シリコンバレー企業の多くは、この「自己超越」を自社のミッション・ステートメントに盛り込んでいる。そこに集う人々のモチベーションを、組織の一員として自己を超えたところ=社会に対して何を提供するのかへと向かわせる、極めて強力なものとしている。
マズローの段階欲求説「自己超越欲求」を企業のミッション・ステートメントとすることで、社員のモチベーションコントロールをうまく行っている企業の一つがグーグルだ。そして、この企業のミッション・ステートメントが、様々な経営的判断を行う上での基準となっているという点でも、グーグルは極めて特筆すべき企業と言える。
グーグルの社員というと多くの人がAlphaGoに代表されるAIを研究・開発するコンピューターエンジニアやプロダクト開発者を想像するだろうが、その半数近くは広告事業に関する営業や事業開発など、ビジネスに従事する人たちで占められている。
彼らはあくまで「お金を稼ぐ」ことが仕事であり、彼ら自身がグーグルのミッション・ステートメントである「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」に直接貢献しているわけではない。
しかし、彼らは誰よりもこのミッション・ステートメントに貢献しているとの自負心を持っている。
その背景には、グーグルの収益の9割以上が、検索連動型広告を始めとした広告事業に負っているが、グーグルの抱える天才的なエンジニアや開発者たちが「世界中の情報を整理」するプロダクトを次々と生み出していけるのも、これらの収益あってこそ、ということを会社としても明確に打ち出していることがある。
バリュー・プロポジション=存在価値が、働く上での価値基準に
グーグルには毎週金曜の夕方5時から開催される全社ミーティングがある。TGIF(Thanks God It’s Fridayの略)と呼ばれるこの集会では、フリーフードにビールが振る舞われ、経営陣と社員が直接対話を行うことができる。
そして、そのTGIFの場で多くの社員が楽しみにしているのが、まだ世の中に出ていない新しいプロダクトに関するプレゼンテーションである。
私がグーグルに入社して間もない2008年当時、日本でもグーグルストリートビューを開始するとの発表があったとき、プロダクト担当者よりも、むしろ営業部門の社員が興奮して盛り上がっていた光景を昨日のことのように思い出す。
なかでも私の印象に残っているのは、「こういう素晴らしいプロダクトを生み出すのを支えているのは自分たちだからこそ、もっともっと頑張らなければ」というような、営業部門の社員たちの無邪気なまでのモチベーションの高さだった。
ウェブページの被リンク数とその質によって、その重要度を評価することで検索語に対する適切な結果を表示することを可能としたグーグルが、自らのミッション・ステートメントを「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」と定義づけたのは、まさにグーグルならではのバリュー・プロポジション=存在価値と言える。
そして、この価値をもたらすことが、営業職員であれ、カフェの給仕職員であれ、働く上での価値基準にもなる。それを実感するエピソードが私のグーグル在籍時にあった。
最大のライバルであるヤフー・ジャパンに
検索エンジンを提供すべきか?
2010年7月、ヤフー・ジャパンは2004年から使い、日本で独自に開発していたYSTと呼ぶ検索エンジンを捨て、グーグルの検索エンジンを採用するという報道がなされた。
同年12月には、ヤフー・ジャパンの検索エンジンは完全にグーグルのものに切り替えられ、現在両社の検索結果は広告枠以外、ほぼ同じものとなっている。
この提携のそもそものきっかけは、2009年7月に米ヤフーが独自の検索エンジン開発を止めると発表したことに遡る。
米ヤフーは開発停止に伴い、マイクロソフトの検索エンジンBingに乗り換えることを決定したが、この時点では、米ヤフーから検索エンジンの根幹部分の提供を受けていたヤフー・ジャパンは果たして米ヤフーと同様にBingを採用すべきか、他の検索エンジンの可能性を探るべきか、決めあぐねていている状況だった。
当時、私はグーグル日本法人の経営企画室兼営業戦略企画部のトップとして、日本法人社長の辻野晃一郎氏をサポートする立場だった。
ちょうど、米ヤフーが検索エンジンBingに乗り換えるとの報道がされたとき、経営企画室の他のメンバーおよび事業開発メンバーから、すぐにでもヤフー・ジャパンに検索エンジンをグーグルに変更するように働きかけるべきとの声があがった。
当時、日本国内ではパソコンからの全検索数についてヤフーが52%、グーグルが48%と両社はしのぎを削っており、グーグル社内では毎週その数値が発表されるたびに、社員はやきもきしてはがっかりするという状況だった。
それでも、以前はヤフーが圧倒的だったわけだから、かなり頑張った上での結果だった。グーグルツールバーの普及に、ポータルサイトやモバイルキャリアへの検索エンジンの提供。様々な取り組みが功を奏し、ヤフーを上回るまであと少しというところだったので、最大のライバルへの検索エンジンの提供には社内でも反対の声が大きかった。
しかし、まずは肝心のヤフー・ジャパンが興味を示さなければ話は始まらない。そこで、ヤフー・ジャパン社長(当時)の井上雅博氏に提案に行ったのだが、けんもほろろに断られてしまう。
そこで私たちは方針変更。ヤフー・ジャパンの親会社ソフトバンク社長であり、ヤフー・ジャパンの会長でもある孫正義氏に直接アプローチすることにした。
孫社長の返答は「ぜひ、やりましょう」だった
東京・汐留のソフトバンク本社26階のある部屋に私たちは通され、ほどなくして忙しない早足で孫社長が部屋に入って来た。私にとって、これが巨人・孫正義との初対面だった。
想像以上に小柄だったことに私は一人驚いていたのだが、当の本人はその小柄な体をご機嫌そうに揺らすと(少なくとも私にはそう見えた)、「ようこそいらっしゃいました」と破顔一笑。辻野社長を見据えた孫社長の返答は「ぜひ、やりましょう」であった。説得のために用意した資料も必要ないくらいの即決だった。
これで孫社長を押さえることはできた。あとは、最終的に社内で最終承認を取るだけだ。しかし、社内でもプロダクトサイドからの反発が大きかったのは先に書いたとおりだった。
そして何よりも、カリフォルニア州マウンテンビューにある本社、特に共同創業者であるサーゲイ・ブリンが反対しているという話がまことしやかに、当時渋谷にあった日本法人オフィスに伝わっていた。
サーゲイは、言ってみればグーグルの検索エンジンの父であり、エンジニアとしては当然の反応とも言えた。
過去にもグーグルは2001年から2004年までの3年間、ヤフー・ジャパンに検索エンジンを提供した時期があったとはいえ、当時はグーグルでの検索数が圧倒的に少なく、まずはデータを集めるという意味があった。
しかし、それから検索技術を高め、マーケットシェアも逆転まであと少しというところで、ライバルに提供するというのは、自らの魂を敵に売り渡すようなものだ。
2009年の秋、辻野社長と私はマウンテンビューに赴き、米グーグルCEOのエリック・シュミット(現在グーグルの持株会社Alphabet会長)を始め、ボードメンバーが一堂に会した会議に臨んだ。
朝一番の会議、私だけは会議室の外のベンチに座って、会議が終わるのを待っていた。秋の澄みわたったカリフォルニアの青空の下、きっと正しい判断を経営陣は下してくれるはず、と祈るような想いで、Googleplex(※注)の芝生に反射する日光を眺めていた。眩しい。長い時間に感じられた。
※注:Googleplex(グーグルプレックス)はアメリカ合衆国カリフォルニア州マウンテンビューにあるGoogle本社の愛称。
エリック・シュミットは何を基準に意思決定をしたのか?
プレゼンは当時アジア・太平洋地域の責任者だったダニエル・アレグレ(現Alphabetグローバル戦略パートナー部門プレジデント)が行った。実際の時間は、20分程度だっただろうか。
ダニエルが会議室から出て来た。わずかに微笑んでいるように見える。結論は“Go”だという。
案の定、サーゲイからは反対意見が挙げられたという。しかし、最終的に下された判断は、CEOであるエリックから発せられた一言が決定的な一打となった。
その一言とは、「我々のミッションは『世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること』だ」であったそうだ。
そう言われて反対する者はいまい。そして、これ以上の判断基準はいらない。これがグーグル自身の存在価値なのであるから、その存在価値に従って判断すれば良いことなのである。私は、さすがエリックと感嘆すると同時に、自分の役目は終わったと溜め息をついたのを覚えている。
そうして、グーグルはヤフー・ジャパンに検索エンジンを提供することになった。それから10年近く経った現在、日本におけるグーグルとヤフーの検索数シェアは、グーグル70に対してヤフー30と、完全にグーグルがヤフーを上回る形となっている。
あのとき、グーグルは自社の検索技術に関して、マイクロソフトのBingには負けないという絶対の自信を持っていた。選択肢として自社の検索エンジンをヤフー・ジャパンに提供せずに、Bingへと移行させることで、最終的に市場シェアを奪取することもあり得た。
なによりも、検索エンジンは自社の屋台骨であり、魂とも言えるものである。それを自社とつばぜり合いを演じる企業に提供するというのは、簡単にできる判断ではない。
しかし、日本にいた私たちにとっては明らかにグーグルが日本において「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」を実現する最初で最後のチャンスだった。
そして、最終的には最高経営責任者であるエリック・シュミットによって下された判断は、結局間違いではなかったのだった。