「残業代至上主義」と決別しなければ働き方改革は前進しない

総合「残業代至上主義」と決別しなければ働き方改革は前進しない

政府が平成30年国会の最重点項目とした「働き方改革法案」のひとつの柱となる裁量労働制の改革が取り下げられた。これを受けて、この延長線上といわれる「高度プロフェッショナル制度」についても、その撤回を求める声が高まっている。

しかし、主として労働時間の長さで評価されるような業務が、次第に省力化機器や人工知能(AI)に置き換えられる一方で、それらを活用した高度専門的な業務が、今後、拡大する。それにもかかわらず、労働者の生産性や労働の質の差よりも、単に労働時間の長さに応じた賃金制度にこだわって、欧米では普遍的な専門職の働き方への改革に反対する、いわば「残業代至上主義」は果たして正しいのだろうか。

労働時間改革の問題を
理解するための三つのテーマ

この労働時間改革の問題を理解するためには、(1)労働者の健康確保のための労働時間の抑制、(2)賃金の支払い手段の一つとしての残業割増賃金の是非、(3)法律の実効性を担保する労働基準行政の改革、等の三点を明確に区別して考える必要がある。

第1は、慢性的に長過ぎる労働時間の抑制である。これまでもすべての労働者について残業時間の上限規制は存在したが、労働組合の合意さえあればその上限を撤廃することができ、事実上、青天井となっていた。この労働組合による長時間労働へのチェック機能が十分に果たされない現行規制の抜け穴を防ぎ、政府が労働時間の上限を例外なしに定め、それを使用者への罰則で担保することが、今回の法改正の大きなポイントであった。

これは高度プロフェッショナル制度についても同様である。労働時間の上限設定の代わりに、使用者の義務として年間104日の強制休業の規定が盛り込まれた。これは深夜・休日の残業割増賃金だけの現行の裁量労働制と比べても、より厳しい規制の強化である。

また、この規定は元の政府案では企業の選択肢のひとつに過ぎなかったが、神津里季生連合会長の総理への強い要求で、企業への一律的な義務として格上げされたことが大きい(過去記事「『脱時間給』の連合提案は“カネより健康”重視の建設的内容だ」を参照)。この労働組合からの建設的な提案で、過労死防止にもっとも効果的な休業規制が強化されたことが、なぜほとんど評価されないのだろうか。

これは第2の問題点、賃金の支払い方式とも密接な関係がある。現行の労働基準法は労働時間と賃金を比例させて、所定外(残業)労働時間には割増賃金を義務付けている。これは1時間余分に働けば1時間分の製品が出来上がる工場労働には適した方式である。また、集団的働き方の下で、残業代の支払いが企業にとって大きなコスト増となることから、残業抑制にもある程度の効果が期待できた。

他方で、企画や研究活動等で、良いアイディアを生み出すことが仕事の専門職の働き方では、机の前に1時間長く座っていても、それに見合った成果が得られるわけではない。

こうした個人単位で働く専門的労働者に対して、長い残業時間をかけるほど割増賃金を多く得られる現行方式は、いわば「時間当たり生産性の低い労働者への補助金」といえる。これに対して、労働時間にかかわらず仕事の質に応じた賃金制度は、残業なしでも賃金面で不利にならないことから、逆に「効率的に働く労働者への補助金」の役割も果たす。

この脱時間給の制度について、「残業代がなくなれば際限なく働かせられる」いうのは、労使対立の視点でしか考えられない画一的な工場労働の発想だ。仕事の質が問われる専門的業務で、そうした長時間労働を強制する生産性の低い働き方が、本当に企業の利益になるのだろうか。仮にそうであれば、裁量労働制の対象範囲の設定が誤っており、その是正を求めるべきであろう。何よりも労働の質が重要な専門的業務では、優れた人材を獲得することが企業にとって最大の利益となる。このため貴重な人材に辞められないためには、残業なしでも高い報酬が必要である。もっとも、年功賃金の下で勤続年数が同じなら基本給に大差はない現状と比べれば、個人間の賃金格差は広がる可能性が大きい。

第3は、労働基準監督行政の実効性である。裁量労働制への批判には、制度自体よりもその適用上の問題が大きい。実際に働いた時間ではなく、予め定められた時間のみなし労働の対象者は、専門的・自律的な働き方でなければならず、その場合であっても、深夜・休日労働への残業代は義務付けられている。この法律の規定が大企業でも十分に認識されておらず、実効的な取り締まりが十分でなかったことが裁量労働制自体への批判となっている面が大きい。このため法令に違反する企業に対しては、単なる是正勧告だけでなく、同時に、最初から企業名を公表する等の措置が求められる。また、年間休日の義務付けを現行の裁量労働制にも新たに導入することも検討すべきだ。

高度プロフェッショナル制度の対象者には高い年収制限が課せられるためにそうした懸念は乏しいが、実質的な年間労働時間抑制のための強制休業の実効性がカギとなる。このためには、慢性的に不足している労働基準監督官の増員が不可欠である。またこれを補うために、社会保険労務士等の民間専門家を、その前捌きとして活用する制度(過去記事「ブラック企業の労基法違反摘発を『民間委託』すべき理由」を参照)が、平成29年度の規制改革実施計画にはじめて盛り込まれ、31年度から実施されることになっている。

労働者の多様化による
「労・労間の利害対立」が顕在化

労働時間規制の改革には、今後、人口が持続的に減少するなかで、労働者の「売り手市場」となる経済環境の変化が追い風となる。雇用の流動化に対しては「クビ切りの自由化」という否定的なイメージが強いが、他方で中途採用機会が拡大すれば、労働者にとって「労働条件の悪い企業からの脱出」が容易となる面も大きい。

これまで日本の労働法改革は、「使用者の得、労働者の損」という労使対立の枠組みで反対される場合が多かった。しかし、職種別の労働市場・労働組合の欧米諸国ではともかく、企業別に分断された日本の労働市場の下では、労使間に長期的な利益の共有関係がある。この円満な労使関係は日本経済の大きな長所であったが、1990年代初からの長期経済停滞の下では、そのマイナス面も顕在化している。これは長期雇用・年功賃金の保障下で無限定な働き方の労働者と、それ以外の働き方の労働者との「労・労間の利害対立」である。

その典型的な例は、企業内労働市場の正規社員と企業外の非正規社員との格差である。しかし正規社員の間でも、専業主婦を暗黙の前提にした「慢性的な長時間労働や転勤」の働き方と、傾向的に増加している「仕事と家庭生活の両立を目指す」共働き世帯等の働き方との矛盾も大きくなっている。脱時間給への労働時間制度改革についても、「残業手当を前提に長時間労働を厭わない労働者」にとっては「残業代ゼロ法案」としか映らない。

しかし、「何よりも時間が貴重」な共働きや単身労働者にとって、残業に依存しない働き方は、子育ての時間の確保や、リカレント教育・副業等の機会の増加などプラス面も多い。こうした労働者間の多様なニーズにも配慮しなければ、労働組合組織率の低下に歯止めはかからないであろう。

労働時間制度の改革は、テレワークや地域・職種限定正社員等の新たな働き方、年功賃金の是正を促す同一労働同一賃金、および高齢化社会では避けて通れない定年退職制度等、他の制度改革と一体的に行う必要がある。これらの内には、現行法の枠内でも可能なものも多い。単なる反対運動だけでなく、労働組合が主体となって企業と交渉し、多様な働き方についての先進的な事例を作り出すべきであろう。