総合人事もPDCAを回す時代へ 「日本の人事を科学する」データ活用の視点とは(前編)
近年、「人事データの活用」に対する社会的・経済的要請が強まっています。人材情報のデータベース化を目指すタレントマネジメントへの関心や、女性活躍推進、働き方改革、コーポレートガバナンスといった政策テーマの推進に向けて、国が企業にさまざまな情報開示を促す動きなどはその表れでしょう。
AI(人工知能)の発達や基幹業務システム、グループウェアの機能拡張により、今後、利用可能な人事データの種類や範囲も飛躍的に広がっていくのは自明です。実際に社内データを取り扱う人事部門では、そうした変化にどう対応していくべきなのでしょうか。「日本企業の人事は“PDCAのない世界”。人事データという、せっかくの宝の山が有効活用されていない」と語るのは、東京大学社会科学研究所の大湾秀雄教授です。自著のタイトルである「日本の人事を科学する」を提唱し、人事データの学術利用を進める産官学連携プロジェクトのリーダーも務めています。大湾先生へのインタビュー前編では、人事データを活用する意義や日本での現状、データ分析の意外な“面白さ”などについて語っていただきました。
東京大学社会科学研究所 教授
大湾 秀雄さん(オオワン ヒデオ)
1964年生まれ。東京大学理学部卒業。(株)野村総合研究所勤務を経て、留学。コロンビア大学経済学修士、スタンフォード大学経営大学院博士 (Ph.D.)。ワシントン大学オーリン経営大学院助教授、青山学院大学国際マネジメント研究科教授を経て、2010年から現職。(独)経済産業研究所ファカルティーフェローを兼任。専門は、人事経済学、組織経済学、および労働経済学。実務家向けに、経営課題解決のために自社人事データをどのように活用したらいいのかを指導する、人事情報活用研究会を主宰する。
経営課題解決のため、
人事データの分析手法を実務家に伝授
大湾先生は、日本企業におけるデータ活用の普及推進を図るために、人事担当者向けの研究会を主宰して直接指導するなど、精力的に活動していらっしゃいます。そもそもどのような経緯から、「人事データの活用」というテーマに着目されたのでしょうか。
私の専門は人事経済学ですが、もともとはデータを扱うのではなく、理論モデルを研究していました。組織や人事制度をどう設計すれば業務の効率が上がるのかという理論や分析手法が、1980年代から90年代頃にかけて次々と発表されたんですね。しかし2000年代に入ると、当の経済学者たちの中から「理論はあるけれど、客観的なデータで実証されていないじゃないか」という自己批判が出てきました。そこで、実際に企業内で管理されている人事データを使って検証しようとする動きが広がり、私もデータの収集・分析に取り組み始めたわけです。
ところが、企業内データの学術利用が進んでいる欧米諸国と違い、日本では「機密性が高い」として、企業側から人事データをなかなか提供してもらえません。そんな事情を、2007年に大学のビジネススクールで話したところ、授業に出ていた社会人学生の一人が「私の会社が力になれるかもしれない」と、協力を申し出てくれたのです。それが、ワークスアプリケーションズでした。
ワークスアプリケーションズは国内最大手のERPパッケージベンダーであり、数多くの企業が同社の人事システムを導入して自社データを管理しています。
その顧客企業に人事データを提供してもらえるよう交渉し、必要なデータを、個人情報を抜いた形で抽出するところまで、引き受けてくれることになったのです。また、提供されたデータをどう安全に管理するかという難題についても、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)のファカルティフェローである川口大司先生(現東京大学教授)のご尽力により、RIETIから安全なデータ管理システムの提供と研究支援を受けられることになりました。ワークスアプリケーションズの仲介で企業から提供された、従業員の基本属性や職務履歴、評価、労働時間などを含む人事データを公的機関が安全に管理し、われわれがそれを分析するという、画期的な学術研究の枠組みが実現したわけです。こうした産官学連携のプロジェクトは、世界でもほとんど例がありません。
しかし、実際に始めてみると順風満帆とはいかず、初年度こそ2社から協力を得られましたが、それ以降の交渉は困難を極めました。人事部のマネジャークラスが興味を示してくれても、社内稟議を経る中でたいてい頓挫してしまうのです。
それは、なぜでしょうか。
「人事データを分析したところで何が分かるのか、どんなメリットがあるのか」――企業のトップや上層部には、なかなか想像がつかないことが一番のネックでしたね。人事担当者にしても、そこを説得して突破するだけの知識やイメージは持っていません。そうした失敗の教訓から、まずは現場の実務家にデータを活用することの利点を実感してもらい、大切なデータを提供してもらえるだけの期待感や信頼関係を広く醸成していこうと考えて始めたのが、「人事情報活用研究会」なのです。ワークスアプリケーションズとの共催で参加企業を募り、2014年に立ち上げました。
研究会では毎回、人事や組織に関する課題を選んだ上で、関連する人事データを実際に分析して解釈する、という課題を出しています。あわせて統計学の講義を行い、回帰分析など、必要な統計分析の知識も伝えてきましたが、最初は大変でした。参加している人事マネジャーの多くは文系出身で、基礎知識も十分ではありません。実際、第1期の初回に20社以上集まった企業の多くが、途中で会を抜けていきましたから。それでも、2期、3期と活動を重ねるたびに貴重な知見が得られ、手応えを感じるようになりました。
活動を通じて現場の担当者と交流されたご経験から、日本企業の人事部の現状にどのような印象を持たれましたか。
研究会の参加者にとって、忙しい業務と並行して課題の分析作業をまとめるのは、正直大変だったでしょう。途中で抜けていった企業には、やはりその負担が重すぎた面もあったと思います。言い替えると、目先の仕事をこなすのに必死で、中・長期的に重要な課題に腰を据えてかかる余裕が足りない、ということ。これまで何もしていなかった企業が新しくデータ活用を始めるとなると、準備も余計に必要ですから、なかなかそこまでは手が回らないようです。
社内の説得や日常業務との両立、専門知識の修得など、データ活用のハードルは決っして低くありません。それでも、人事部が取り組むべき理由とは何ですか。
ビジネスの現場では、たとえば営業部門でも、生産部門でも、計画(Plan)・実行(Do)・評価(Check)・改善(Act)という「PDCAサイクル」を回すのが当たり前ですね。しかし、人事や組織改革の分野に限っては、ほとんどが計画と実行止まり。講じた施策の効果を客観的に評価し、改善につなぐところまでたどりつかないのです。
たとえば、多くの企業が採用に多大な労力やコストをかけ、人材確保に腐心していますが、採用後に検証を行っている企業は少ないのではないでしょうか。しかも当の人事部を始め、組織内の誰もがそのことを不思議に思わないのが、私には不思議でなりません。今後は、人事面においても、データを積極的に活用し、データの分析にもとづいてPDCAサイクルを回しながら、よりスマートに意思決定を行う必要があるでしょう。

なぜなら日本企業は、組織のあるべき姿として、「人事機能の分権化」へとシフトしていかざるをえないからです。グローバル競争の激化や人材の多様化といった、自らを取り巻く環境変化に効率よく対応するためには、これまで人事部門に集中し過ぎていた権限を分散・委譲し、より現場に近いところで意思決定を行う人事システムに移行していかなければなりません。現に、最近は日本企業においても、従業員の属性やニーズ、キャリアの多様化を背景に、現場のマネジャーが部下一人ひとりに合った育成プランを考えるなど、採用・配置・育成・評価の各機能において、現場が担うべき領域が広がってきました。
すると必然的に、人事部の役割も変わってきます。現場の管理職に権限を移す一方で、彼らがより良い意思決定を行えるように支援する。また、分権化した人事システムの中で組織全体が健全に機能しているかを絶えずモニタリングし、問題の把握・改善に努める。何よりも、そのためのエビデンス(有効性や妥当性の根拠)として、人事データの活用が求められるわけです。
逆に言うと、日本企業の場合、人事の分野でデータ活用が遅れているのは、人事部に権限が集中し過ぎていることとも関係があるのでしょうか。
大きな要因の一つだと思いますね。これまで多くの日本企業では、新卒一括採用に代表されるような、人事部による画一的で一元的な人材管理が長く機能してきました。そのため、PDCAサイクルを回して検証しなくても、担当者のカンや経験にもとづく意思決定が、それほど重大な間違いを起こさずに済んでいました。
もちろん、企業の人事部に配属される人材には人文系学部出身が多く、もともとデータへの関心や統計リテラシーが乏しい環境であったという事情も、データの活用を遅らせてきたと考えられます。
とはいえ、実は人事データはとても面白く、精緻に分析してみると、当初予想していなかった動きや、一般に流布している印象論とは違う“常識のウソ”が明らかになったり、見過ごされてきた意外な事実にたどりついたりすることがあります。現に、私が主宰する「人事情報活用研究会」の活動においても、統計を学び始めたばかりの参加者に、課題として試みてもらった自社データの分析から、ときに驚くような結果が出てくることがありました。
たとえば、ある参加企業の担当者が、自社の採用時の情報と、その後どれだけ活躍しているかを示す入社数年後の評価との関係を、回帰分析という手法で調べてみました。採用時情報としては、適性検査と筆記試験、グループ討議、一次面接という四つのデータが保管されていたのですが、そのうち入社後のパフォーマンスと有意な相関が認められたものは、適性検査で測った創造的思考力とオーガナイズ能力の二つだけ。驚くべきことに、面接やグループ討議の評点を含む、他の選考結果については、入社後のパフォーマンスとの間にほとんど相関が見られなかったのです。分析にあたった当の人事担当者がショックを受けたのも無理はありません。その企業では、外部のコンサルタントを雇い、効果があると信じて何年間も採用アセスメントを実施していたのですから。

データの活用によって、初めて自社の真の「採用力」が見えてきたわけですね。
たしかに、採用時に集めたさまざまな応募者情報と、入社後の評価や昇進昇格スピードとの相関関係を明らかにすることで、選考の際の基準や採用手法が適切であったかを検証することはできます。ただし、統計的に「相関関係がない」からといって、必ずしも「有用ではない」というわけではありません。実際に入社した人だけに対象を絞った分析では、有意な相関が認められなくても、採用しなかった人や入社しなかった人まで含めた母集団全体で分析すると、有効になる可能性を排除できないという問題があるからです。
採用の分析において考慮しなければならないバイアスの一つで、統計学ではこれを「サンプルセレクション問題」と言います。こうしたバイアスは、採用に影響を与えたあらゆるデータが、採用者についても不採用者についてもすべて残されていれば、統計的な補正が可能です。我々の研究でもそうした補正も行いつつ、分析を試みていますが、それでもやはり、採用時の面接の評価と入社後のパフォーマンスとの間に、はっきりとした相関関係が認められるケースは確認できていません。
面接では自社に必要な人材を見極めることはできない、ということですか。
面接そのものが有効でないというよりも、面接のやり方がよくないということでしょうね。横浜国立大学の服部泰宏先生が著書『採用学』で述べているとおり、将来のパフォーマンスを予測する上でより有用な情報を引き出すためには、質問内容を面接官の裁量にまかせるのではなく、事前にある程度取り決めて、同じ内容の質問を応募者全員に投げかける「構造化面接」を実施すべきだと思います。面接官個々の恣意(しい)性を排し、採用担当者全員で情報を共有・比較できるという点で、集合知にもとづくより良い意思決定につながる可能性が高いからです。
こうした改善策をとるためにも、また、改善策の効果をより正確に検証するためにも、企業には、採用時の情報をできるだけ残しておくことが求められます。エビデンスとなるデータがなければ、PDCAを回すことはできません。