3男1女の「元モデル母」が拓いた再就職への道

女性雇用3男1女の「元モデル母」が拓いた再就職への道

3人以上の子どもを産み育てながらキャリアも継続させる道を選んだ “子だくさんワーキングマザー”を訪ねる連載、最終回。今回取材したのは、かつて広告モデルとして活躍、35歳から専業主婦となり、50歳にして15年ぶりに再就職を果たした3男1女の母、山下枝美里さん(51)だ。

15年ぶりに地下鉄に乗る

専業主婦だったとき、外出時はどうしても子ども4人連れとなるため、山下さんの移動手段はマイカーだった。ところが仕事に出るため久しぶりに乗った地下鉄は、この15年の間に様子が一変。初めての路線や駅をスマホ検索しながら、リハビリ感覚で電車を乗り継いでいる。

「昨年秋から日本語学校と人材育成会社の2カ所で働き始めて、毎日違う場所へ出勤。仕事が決まって慌ててスーツや靴、バッグを買いに走りました。なにしろブランクが大きいので、仕事が終わると毎日ヘトヘト。講師業は下準備もあるので、帰宅しても気が休まるときがありません」

日本語学校には非常勤講師として週2日出勤、50分の授業を8コマ担当。人材育成会社では企業研修トレーナーとして週3日、自治体や教育機関、一般企業で研修を行う。この春は新人研修セミナーが立て込み忙しく、地方出張もこなした。

「夫も子どもたちも、私が働くことを快く応援してくれます。なのに、家事だけはいまだに”ママの仕事”だと思っているふしがある。家族全員に『今はママのほうが忙しいから手伝って』と、再教育中なんです」

15年もブランクがあったのに、なぜ求人にエントリーしてすぐに2つも仕事が決まったのか。そのヒントは、山下さんがやりたい仕事に思う存分打ち込み達成感を得ることができた20代、家事や育児に専念してきた30代、そして40代半ばからの再就学にある。

学生時代、富山県で美大進学を目指していた山下さんは、東京の予備校に通っていた。ある日モデル事務所にスカウトされ、「そんな道もあったのか」と芸能活動に関心をもつ。しかし、モデルより俳優になりたいと「劇団ひまわり」に入団。TBSドラマ「積み木崩し」に出演する。ところがいざ演技してみると、セリフ回しもうまくいかない自分に直面。実力不足を痛感する。

「主演の高部知子さんの天才的な演技を目の当たりにして、自分は向いてないなと自覚しました。その後頑張っていくつかドラマや舞台に挑戦しましたが、伸び悩み。この世界を辞めようとしたところ、思いがけずモデル事務所から声がかかったので、ダメもとでトライしたんです」

はたしてモデル業が向いていたのか、水を得た魚のように活躍し、仕事が軌道に乗り始めた。折しも時代はバブル絶頂期。1本の報酬が100万円近くの仕事も多く、山下さんの年収はたちまち1000万円台に。ファッションブランドを始め化粧品、航空関係、食品、精密機器など、あらゆる業界の広告をこなし、手応えを感じた。当時、女性の結婚適齢期は24歳。山下さんも25歳で幼なじみと結婚したが、仕事は辞めずにそのまま続けた。

「予想外に早く第1子を授かったので、すでに決まっていた仕事をこなすために妊娠8カ月まで撮影をしていました。それでも安産だったので、私は意外に丈夫なんだと、産後1カ月で元の体重に戻して、すぐに現場復帰しました」

子育てとの両立を荒技で乗り切るが…

子どもが大きくなってくると、仕事を受ける範囲も大胆になる。ロケ撮影で宿泊を伴う日は、夫が朝イチの飛行機で子どもを連れて富山へ飛ぶ。空港で山下さんの実母に預けたら、9時出社に間に合わせるため、乗ってきた飛行機で東京へトンボ帰りという荒技で乗り切った。

第1子誕生からほどなく次の妊娠が発覚するが、山下さんは全国を飛行機で飛び回るキャンペーンの仕事を引き受ける。長男の妊娠中、同じ仕事をしていても母体に触りはなかったからだ。しかし今度は流産をしてしまう。

「ショックでした。生まれて初めてものすごく自分を責めました。子どもの死は、大きかったですね…」

家にいると鬱々としてふさぎ込んでしまうと、仕事に復帰。しかし何をしていても頭から流産のことが離れない。次の子を欲するまで、2年かかった。ようやく「長男にきょうだいをつくってあげたい」と30歳で第2子を、32歳で第3子を出産。すると山下さんの中の認識が大きく変わった。

「あんなに仕事好きだったのに、子育てのほうが楽しくなってしまったんです。仕事は完全燃焼。これからは子育てに比重を置こうと、モデルママ仲間と気楽なプチ起業感覚で、セミナー講師の仕事を始めました」

これが、現在の講師業につながる伏線となる。見せ方のプロであるモデルの知識とノウハウを活かし、就職活動中の学生や新社会人向けのセミナーを行った。その際、”顔立ちはきれいだけど何か光っていない人”がいるのを見て、人は心の曇りが表情に表れることに気づく。「教えること」や「人の心理」について、いつか専門的に勉強したいという思いを抱く。

35歳できっぱり専業主婦に

新たに力を入れたい分野がみつかった。しかし、35歳で第4子を妊娠。子どもの命を守るため、今度はモデルも講師もきっぱり引退。以降、15年間の専業主婦生活に突入する。女性はライフイベントでキャリアの中断を余儀なくされる、とはよく耳にする言葉だが、山下さんの中には「余儀なく中断された」というネガティブな気持ちはみじんもない。

「やりたいことを十分やってきているので、悔いがないんですよね。今度は家事や子育てを楽しもうと。子どもに冷凍食品を食べさせたくないから手作りしたり、家庭菜園でトマトを育てたり、パンを焼くのも楽しかった」

今、目の前にあることを楽しむのが山下さんのスタンス。二男が英語を習い始めたのを機に、36歳から国際交流のボランティアも開始。専業主婦でありながらも、社会との接点をもった。

それから10年後の46歳。いちばん下の娘が小学校4年生になったのを見計らい「いよいよ時が来た」と、大学の入学願書を取り寄せる。社会人特別入試を受けて、聖徳大学人文学部心理学科(現・心理・福祉学部)に入学。4年間心理学を学ぶ。

心理学を専攻した理由は、友人とセミナー講師の仕事をしていたときから、人は心の悩みを取り除くことで表情が変わると感じていたこと、4人の子育て中に「同じ年頃に、同じ問題が起きる」ことに気づき、児童の発達心理学に関心を持ったことからだ。

40代からの学び直しは人生の後半を充実させる。しかしこの世代は同時に親の介護も生じやすい年代だ。山下さんも、大学在学中に母の介護に直面した。週の前半は倒れた母の介護のため富山で過ごし、後半は戻って大学へ。下の娘が一人になる時間を作らないよう、富山に転校させ親戚の家に預ける二重生活が始まった。

ハードな日々にも慣れてきた大学3年、山下さんは卒業後の再就労をにらんで、大学に通いながらさらに産業カウンセラーの養成講座にも通い出す。

「大学のクラスメートに産業カウンセラーをしている人がいたんです。産業カウンセラーとは、働く人と組織の問題解決を支援するためのカウンセラーで、大学で得た知識を実践で活用できるのはこの道だと、ひらめきました。大変だけど、何かもう一つ積みたいという思いでした」

7カ月の講座終了後、翌年1月の試験に合格。産業カウンセラー資格を取得するが、間髪入れずに今度はキャリア・コンサルタント講座を受講する。

「できれば、転職や再就労に悩む人の背中を押せたらと。たとえば『専業主婦をしてきたけれどもう一度働きたい。でも、私なんか…』と臆している人に、一歩踏み出す勇気をもつお手伝いをしたいと考えたのです」

「50歳は、おばあさんではない」

人材育成会社の採用面接では「人や教育に対する情熱はどのくらいありますか」と聞かれ「とてもあります」と熱い思いを伝えたという

大学生活後半はダブルスクールをこなす多忙な日々だったが、この4年で心理学の学士、高校教員免許、産業カウンセラー資格、キャリア・コンサルタント資格を手にした。過酷な二重生活をものともせず、母の最期もきちんと看取った。大学を無事卒業し、ゴールした胸に去来したものとは――。

「長い準備期間を終えて新たなスタート地点に着き、『よーい、ドン!』の号令を待つ気分です。日本語教師と企業研修トレーナーはどちらも、根底に心理学やコミュニケーションの知識が必要。産業カウンセラーとしての傾聴力や、キャリア・コンサルタントとしてのキャリア形成支援の知識が役立ち、日々充実しているのを感じています」

これまで、4人の子育ては親として当然のことと、大変さは感じなかった。再就労は自分で選んだ道だから、家事との両立で熱を出し寝込んでも自己責任と引き受ける。50歳のリスタートは、懐の深さがものを言う。

「昔、夫と『50歳になったら海外で暮らそう』と話していたんです。でもいざ自分が50になったら、そんなにおばあさんでもなかった。子どもたちに『あなたたちは人生これからね』って言うと、20歳の二男には『いや、ママのほうが人生これからって感じで、活き活きしているけど』と言われます」

発達心理学によれば、人は死ぬまで成長を続けるといわれ、心理学者のユングは、40歳を「人生80年時代における人生の正午」と位置付けた。40歳はまだ人生の折り返し地点。30代は、まだその手前だ。しかし、女性たちはどうしても、いま目の前のことに思い悩み、立ち止まってしまいがちだ。山下さんはこう言い切る。

「いくつになっても『もう遅い』ということはありません。諦めなければ叶うんです。50代になっても毎日が無我夢中。先のことはわかりませんが、90歳ぐらいまで、日本語を教えながらキャリア・コンサルタントをやれていたら、いいですね」